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様々な組織を通じて問い合わせたり連絡をしたりした後、1994年に廣太郎さんは20万USD(当時のベトナムドンで約20億VND(約2000万円)相当)を手にベトナムを訪れた。このお金の一部には淳子さんの保険金や廣太郎さんの老後の資金などが含まれていた。
「当時、ベトナムはまだ世界から切り離されていて、経済的な理由以外でこの国に投資するなど馬鹿げたことだとされていました」と廣太郎さん。廣太郎さんはクアンナム省の郡や村を何十か所も調査しに行き、質の良くない建物の学校を見てまわった。そして、ディエンフオック郡を選んだ。
「1995年9月、改築した学校の開校日、廣太郎さん夫妻は淳子さんの遺影を持って学校を訪れました。周りでは多くの人たちが泣いており、私も涙を止めることができませんでした」と同校の初代校長のチャン・コン・チュオンさんは語った。
当初、この学校は「ホアンホアタム」という名がついていた。しかし2003年、住民らが感謝の意を込めて「ジュンコ」と改名することを提案し、「ジュンコスクール」に変わった。現在の校内の一室には、淳子さんの写真が厳かに飾られ、プロフィールが添えられている。
2005年の修繕の際には、世界各地から寄付を受けた。ジュンコスクールは学びの場というだけでなく、洪水のときには地域で最も堅固な住民の避難所ともなった。
この20年間、特定非営利活動法人(NPO法人)JUNKO Association(前身は当時のゼミ生を中心に発足したNGO団体、2007年11月からNPO法人)による数千件もの奨学金が、貧しい生徒に贈られてきた。そして後に、この学校を卒業した約50人の優秀な生徒が日本の大学教育を無料で受ける機会を得た。
「ベトナム人は貧富の差を埋めるために十分な教育を受ける価値がある」―淳子さんの日記の最後に記されたこの言葉の一部が実現した。しかし廣太郎さんは、いつか娘のいる世界の向こうへ行く日まで、足を止めることはしないと自分に誓った。