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メコンデルタ地方のカントー市とビンロン省の境を流れるハウ川に架かるカントー橋の建設工事中に崩落事故が起きた2007年9月26日から、今年で丸4年が経過した。この事故では55人の尊い命が犠牲になった。犠牲者遺族はその後、どうしているだろうか。
ビンロン省ビンミン郡ミーホア村では、崩落事故で34人の死者と42人の負傷者が出た。同村人民委員会のチュオン・バン・ロット主席は、この4年間、地方政府や各団体が定期的に遺族を訪れ、支援してきたと話す。村には犠牲者の碑が建てられ、遺族には支援金口座が開設され、子弟のために奨学金も支給されている。
夫を失ったグエン・キム・トゥエンさん(49歳)はベトナム労働総連盟と交通運輸省から家を支給された。支援金の約2億ドン(約80万円)は2人の子供の学費に充てた。2人とも高校を卒業して、今はカントー市の水産会社で働いており、親子3人安定した生活を送っている。ただ、心の苦しみは今も消えないという。
同じく夫を亡くしたブイ・ティ・ニャインさん(52歳)は、この事故で負傷し身体障害者になった息子を抱えている。医療費がかかるため、少しでも家計の足しにしようと牛と水牛を飼い、ザボンを育てている。息子のダットさんは「母が忙しく働いているのに、何もできない自分が悔しい」と涙ぐんだ。