[特集]
カントー橋崩落事故の犠牲者遺族は今
2011/10/02 07:25 JST更新
(C) Nguoi lao dong, Ca Linh |
メコンデルタ地方のカントー市とビンロン省の境を流れるハウ川に架かるカントー橋の建設工事中に崩落事故が起きた2007年9月26日から、今年で丸4年が経過した。この事故では55人の尊い命が犠牲になった。犠牲者遺族はその後、どうしているだろうか。
ビンロン省ビンミン郡ミーホア村では、崩落事故で34人の死者と42人の負傷者が出た。同村人民委員会のチュオン・バン・ロット主席は、この4年間、地方政府や各団体が定期的に遺族を訪れ、支援してきたと話す。村には犠牲者の碑が建てられ、遺族には支援金口座が開設され、子弟のために奨学金も支給されている。
夫を失ったグエン・キム・トゥエンさん(49歳)はベトナム労働総連盟と交通運輸省から家を支給された。支援金の約2億ドン(約80万円)は2人の子供の学費に充てた。2人とも高校を卒業して、今はカントー市の水産会社で働いており、親子3人安定した生活を送っている。ただ、心の苦しみは今も消えないという。
同じく夫を亡くしたブイ・ティ・ニャインさん(52歳)は、この事故で負傷し身体障害者になった息子を抱えている。医療費がかかるため、少しでも家計の足しにしようと牛と水牛を飼い、ザボンを育てている。息子のダットさんは「母が忙しく働いているのに、何もできない自分が悔しい」と涙ぐんだ。
一方、巨額の支援金を受けたことが原因で、崩壊してしまった家族も少なくない。息子の1人を事故で失ったグエン・ティ・フオンさん(60歳)の家族はその典型だ。支援金約5億ドン(200万円)を受け取ったが、死亡した息子の嫁が離婚する際に半額を要求し、別の息子たちは働かずに金を使うだけの生活を続けたという。フオンさんは胃から出血して入院しているが、借金して入院費を賄っている。
地元住民の1人は、「支援金を手にした多くの家族が、後先も考えずに衣服や携帯電話などを買いに走った。金目当てに夫を亡くした女性に言い寄る男も現れ、再婚した女性も少なくないが、今では苦しい生活を送っているようだ」と話した。
ミーホア村の村民らは、地方政府がもう少し遺族に関心を持ってくれていればと話す。しかし、前出のロット主席は「支援金を正しい目的で使うよう説得しても、結局は彼らが使い道を決める。我々がそれに干渉することはできなかった」と釈明した。
[Nguoi lao dong online, 24/09/2011 22:37, O]
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