[特集]
娘の遺志継ぎベトナムに小学校開校、父親が再訪
2019/07/07 05:47 JST更新
(C) vnexpress |
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南中部沿岸地方クアンナム省ディエンバン郡ディエンフオック村にある小学校「ジュンコスクール(JUNKO School=Truong Tieu hoc Junko)」。この学校は、ある1人の日本人女性の遺志を継ぎ、1995年9月4日に開校したものだ。
2019年5月14日、高橋廣太郎さんは娘の名がついた小学校を5年ぶりに訪問した。南中部沿岸地方ダナン市から南へ30km、トゥーボン川のそばの村にある2階建てのこの学校は、白砂が広がる貧しい田舎を明るくするかのように建っている。今から約25年前、ぼろぼろだった小学校を改築し、「ジュンコスクール」が開校した。
廣太郎さんの末娘である高橋淳子さんは、20歳だった1993年、東南アジアの経済発展について研究しており、論文執筆のため、友人らとともにグループでベトナムへ調査に訪れた。淳子さんは、かつて最も激しい戦場の1つだったクアンナム省について調査した。
そして、泥道を裸足で歩いて学校に行き、今にも崩れそうな教室で勉強する子供たちや人々の苦しみを目の当たりにし、心を痛めた。こうして淳子さんは、自分が働き出したらベトナムの子供たちがよりよい環境で学べるよう支援することに給料を使おう、と夢見るようになった。
淳子さんが日本に帰国した後、廣太郎さんが寮を訪ねると、娘が目を赤くしながらベトナムの資料を眺めているということが幾夜もあった。「お父さん、どうしてこんなに誠実な人たちが戦争で苦しまなければならないの?彼らがかわいそう」と話す娘の頭を廣太郎さんはなでた。
3か月後のある豪雨の日、廣太郎さんの自宅のドアの前に吊るしてあった陶製の風鈴が粉々に割れた。同時に、廣太郎さんは苦痛に満ちた電話を受けた。淳子さんが事故で亡くなったという知らせだった。数日前に淳子さんは友人と寺院に行き、ベトナム人のために祈ったばかりだった。
淳子さんは日記にこう記していた。「今までたくさんの場所を旅行したが、ベトナムほど特別な感情がわいた場所は他にない。この地の人々、通りや裏道からも、温かさや喜びが感じられた。日本に帰ってきて、私の心はベトナムに戻り、彼らのより良い暮らしのために何か役に立ちたいとただ願っている。多くの子供たちはとても貧しく、カニを捕まえ巻貝を捕りに行かなければならず、その上で学校にも行っている…」。
淳子さんの両親は、娘の死を前にしてたくさん泣いた。ほんの数日で廣太郎さんは弱り果てた。廣太郎さんは、淳子さんとスキーをしに行ったり、淳子さんの米国留学中にホッケーの試合を観に行ったり、淳子さんが金メダルを獲ったゴルフの試合を観に行ったりする時間がなかったことを後悔していた。廣太郎さんが唯一持っている淳子さんの写真は、淳子さんが大学の友人と映っているものだった。
「淳子の父親のような強い男性が、あんなにも弱気になるのを初めて見ました。彼は1週間余り、ただお酒を飲み、淳子の日記を何度も何度も読み返していました」と淳子さんの母親は語った。
しかし、悲しみの数日間の後、廣太郎さんはきっちりとスーツを着て、会社に復帰した。会社は発展の初期段階にあり、従業員の信頼を失うわけにはいかなかった。ストレスを感じるたび、廣太郎さんは淳子さんが贈ってくれたスキー用の手袋を眺めた。
「私たち夫婦が外を歩いていて、日本に留学しているベトナム人女性を見かけたとき、夫は淳子を思い出して子供のように泣き出しました」と淳子さんの母親は振り返る。そしてこのころ、廣太郎さんは娘の遺志を継いでベトナムに学校を建てようと思うようになった。
様々な組織を通じて問い合わせたり連絡をしたりした後、1994年に廣太郎さんは20万USD(当時のベトナムドンで約20億VND(約2000万円)相当)を手にベトナムを訪れた。このお金の一部には淳子さんの保険金や廣太郎さんの老後の資金などが含まれていた。
「当時、ベトナムはまだ世界から切り離されていて、経済的な理由以外でこの国に投資するなど馬鹿げたことだとされていました」と廣太郎さん。廣太郎さんはクアンナム省の郡や村を何十か所も調査しに行き、質の良くない建物の学校を見てまわった。そして、ディエンフオック郡を選んだ。
「1995年9月、改築した学校の開校日、廣太郎さん夫妻は淳子さんの遺影を持って学校を訪れました。周りでは多くの人たちが泣いており、私も涙を止めることができませんでした」と同校の初代校長のチャン・コン・チュオンさんは語った。
当初、この学校は「ホアンホアタム」という名がついていた。しかし2003年、住民らが感謝の意を込めて「ジュンコ」と改名することを提案し、「ジュンコスクール」に変わった。現在の校内の一室には、淳子さんの写真が厳かに飾られ、プロフィールが添えられている。
2005年の修繕の際には、世界各地から寄付を受けた。ジュンコスクールは学びの場というだけでなく、洪水のときには地域で最も堅固な住民の避難所ともなった。
この20年間、特定非営利活動法人(NPO法人)JUNKO Association(前身は当時のゼミ生を中心に発足したNGO団体、2007年11月からNPO法人)による数千件もの奨学金が、貧しい生徒に贈られてきた。そして後に、この学校を卒業した約50人の優秀な生徒が日本の大学教育を無料で受ける機会を得た。
「ベトナム人は貧富の差を埋めるために十分な教育を受ける価値がある」―淳子さんの日記の最後に記されたこの言葉の一部が実現した。しかし廣太郎さんは、いつか娘のいる世界の向こうへ行く日まで、足を止めることはしないと自分に誓った。
[VnExpress 05:00 19/06/2019, A]
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