(C) vnexpress 写真の拡大 |
(C) vnexpress 写真の拡大 |
南中部沿岸地方クアンナム省ディエンバン郡ディエンフオック村にある小学校「ジュンコスクール(JUNKO School=Truong Tieu hoc Junko)」。この学校は、ある1人の日本人女性の遺志を継ぎ、1995年9月4日に開校したものだ。
2019年5月14日、高橋廣太郎さんは娘の名がついた小学校を5年ぶりに訪問した。南中部沿岸地方ダナン市から南へ30km、トゥーボン川のそばの村にある2階建てのこの学校は、白砂が広がる貧しい田舎を明るくするかのように建っている。今から約25年前、ぼろぼろだった小学校を改築し、「ジュンコスクール」が開校した。
廣太郎さんの末娘である高橋淳子さんは、20歳だった1993年、東南アジアの経済発展について研究しており、論文執筆のため、友人らとともにグループでベトナムへ調査に訪れた。淳子さんは、かつて最も激しい戦場の1つだったクアンナム省について調査した。
そして、泥道を裸足で歩いて学校に行き、今にも崩れそうな教室で勉強する子供たちや人々の苦しみを目の当たりにし、心を痛めた。こうして淳子さんは、自分が働き出したらベトナムの子供たちがよりよい環境で学べるよう支援することに給料を使おう、と夢見るようになった。
淳子さんが日本に帰国した後、廣太郎さんが寮を訪ねると、娘が目を赤くしながらベトナムの資料を眺めているということが幾夜もあった。「お父さん、どうしてこんなに誠実な人たちが戦争で苦しまなければならないの?彼らがかわいそう」と話す娘の頭を廣太郎さんはなでた。
3か月後のある豪雨の日、廣太郎さんの自宅のドアの前に吊るしてあった陶製の風鈴が粉々に割れた。同時に、廣太郎さんは苦痛に満ちた電話を受けた。淳子さんが事故で亡くなったという知らせだった。数日前に淳子さんは友人と寺院に行き、ベトナム人のために祈ったばかりだった。