
1975年4月30日、特殊部隊の兵士だったファム・ズイ・ドー上尉(男性・75歳)は、南ベトナム大統領官邸(現在のホーチミン市の「統一会堂」)の2階に駆け上がり、南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)の旗を何度も振って、官邸に進入する自軍に安全を知らせた。
![]() (C) thanhnien |
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南部解放・南北統一から50年を迎えた2025年4月、統一会堂の前に立ったドー氏は、「何かを待っているような」緊張感があると語った。
身長170cmで小柄な体格、そして背中の曲がったドー氏は、かつて「水上の伝説」と呼ばれた精鋭の特殊部隊の兵士だった。ドー氏は、1975年4月30日11時30分の瞬間と、「自分の命と引き換えに戦い、犠牲になった戦友たち」の記憶を今も鮮明に覚えている。
「生きて帰還できたことは名誉ですが、心残りなのは、戦場で倒れた戦友たちのことです」と語るその目には、深い悲しみがにじむ。
19歳で徴兵されたドー氏は、水泳の能力を買われて特殊部隊に抜擢され、トゥイグエン(現在の北部紅河デルタ地方ハイフォン市トゥイグエン市)の水上特殊部隊で訓練を受けた。
1972年には南部戦線に派遣され、1973年10月には東南部特殊部隊師団の第116連隊第119大隊第1中隊長として、ビエンホア(現在の東南部地方ドンナイ省ビエンホア市)に駐留する敵軍を制圧する作戦を指揮した。
この激戦で2人の戦友が犠牲になり、ドー氏自身も両脚の太ももに被弾した。ドー氏はさらに倒木により脊椎を損傷し、意識を失った。数か月に及ぶ治療の後、傷は良くなったが、背骨は曲がり、それ以来「ドーグー(曲がり背のドー)」と呼ばれるようになった。
1975年4月末、彼の部隊はロンビン(現在のビエンホア市ロンビン街区)の補給基地を攻撃し、ビエンホア大通り橋を占拠せよとの命令を受けた。その後、サイゴンへ通じる14の主要ルートの1つであるドンナイ橋を占拠し、自軍がサイゴンに進入するまで死守するというさらに困難な任務を実行した。