3月1日の早朝、時折爆発音が鳴り響く中、Pさんは食事を用意するために地下シェルターを出て自宅に戻った。数日前は爆発音がすると皆パニックに陥っていたが、今となっては住民のほとんどが慣れてしまった。
(C) dantri |
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しかしながら、そんな中では食事も落ち着いてとることができない。食事の用意が終わって家族揃って席につこうとしたとき、爆発音が大きくなった。誰が誰に声をかけるでもなく、身の安全を確保するため、全員すぐに地下シェルターに走った。
「そのとき、私は用意した食事と、鍋に入ったままのものもすべて袋に詰めて、地下シェルターに急いで下りました。私たち家族の生活は一変してしまいましたが、1人1人が頑張って乗り越えるしかありません」とPさんは打ち明けた。
この数日間、Pさんだけでなくハリコフに暮らす他のベトナム人たちも同じく不安な日々を過ごしている。地下シェルターにいても遠くから銃声や爆発音が聞こえ、一時も安心はできないのだ。
同じくハリコフに暮らすHさんは、ウクライナで暮らして10年近くになる。Hさんによると、情勢はあっという間に、そして予想外に進行し、危険に備える暇もなく、「なすすべがなかった」という。
退避するにも、ウクライナの冬は寒く、移動距離は長く、さらに移動中に不測の事態が起こることも考えられ、誰もが長距離移動に耐えられるほど健康だとも限らないことから、多数の人々を退避させることは現実的ではない。そのためHさん一家もまた、地下シェルターに避難して日々を過ごしている。
「ウクライナが侵攻された日から、私たち家族はまともな食事もとれていません。誰もが不安な気持ちを抱えながら、とりあえず食べ物を口に入れるだけです。銃声が聞こえるたびに不安が募り、恐怖を感じ、落ち着いて眠ることもできません。一番かわいそうなのは子供たちです。色々なものが不足し、不安な中で、両親とともに生きなければならないんです」とHさん。
街中に煙が上り、爆発音が響き渡る中、ハリコフ、そしてウクライナに暮らすベトナム人は皆、一刻も早く落ち着いた日々が戻ってくることを望んでいる。彼らは、皆で揃っての食事、友人たちとの再会、そして地下シェルターに避難する必要もなく、笑い声の中で自由に外を歩ける日をただただ待ち望んでいるのだ。