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ガンさん親子がホーチミン市を離れていた2か月近くの間、ミンさんがガンさんと生きていきたい一心で料理とバイクの運転の練習をしていたことなど、ガンさんは知る由もなかった。火傷はガンさんより軽いものの、ミンさんの右手には動かせる指が2本しかなく、さらに手足の関節もすぐにリハビリを始めなかったせいで硬くなってしまっていた。手の皮膚は焼けて、ハンドルを握るときの感覚がなくなっていた。
友人に頼んでバイクの運転の練習を始めた当初、友人がバイクの後ろに座り、ミンさんが倒れそうになると助けてくれた。しかし数日後、1人で練習をしていたミンさんは、バランスを崩して地面に倒れた。皮膚は火傷のために硬くなっており、転倒するたびにしびれるような痛みが走った。身体には火傷の跡はなかったが、バイクの練習で身体中に出血やかすり傷が増えた。
ミンさんは台所に立って簡単な料理の練習も始めた。右手は力が入らないため、利き手ではない左手を使って米をよそったり、食材を調理したりした。重い火傷を負った人々にとって、長時間立ち続けることは大変だ。それでも、愛する人をサポートするために主体的に行動したいという強い思いで、ミンさんは毎日練習を続けていたのだった。
「ミンさんのバイクの後ろに座った瞬間、彼は私のために変わったのだとわかり、心から感動しました」とガンさん。その日の食事は2人で市場に行って食材を買い、ガンさんの好きなカインチュア(canh chua=酸っぱいスープ)を作った。ミンさんが台所に立つと、ガンさんは驚きの連続だった。その食事の後、どちらからともなく自然に2人はカップルになった。
しかし、独身のミンさんと2人の子持ちのガンさんの関係は、ミンさんの家族からは今もまだ認めてもらえていない。それでもミンさんは、自分の愛する人に子どもが2人いようと10人いようと、愛する気持ちは変わらないのだと断言した。
5月初め、2人は一緒に暮らし始めた。ミンさんは今では近隣の人に会うのを避けることなく、周囲の視線を受けながらも市場に行ってガンさん親子のために買い物をしている。最近ではガンさんのライブ配信ショッピングにミンさんも加わるようになった。
そして毎日、ミンさんはガンさんの代わりに2人の息子の送迎をし、愛する人の大変な仕事を一緒に担っている。「彼もまた13歳で母親を亡くして孤児になり、伯母と一緒に暮らしていたので、息子たちの気持ちがわかるのだと思います。困難を経て、私もようやく自分を補ってくれる相手を見つけることができました」とガンさんは胸の内を明かした。
ミンさんの願いは、自分の愛する人たちとより良い生活を送ることだ。ミンさんは来年、小さな結婚式を挙げようと計画している。「愛のおかげで、私とガンさんは共に新しい人生を歩んでいます。僕たちは外見は完璧ではないけれど、ガンさんと完璧な家族になりたいと思っています」とミンさんは打ち明けた。