車椅子に乗るのもやっとの女性が、紙とペンと格闘しながら、曲がって節くれだった指で美しい詩を紡ぎだしていく。彼女の名前は、ディン・ティ・ホアン・ロアンさん(36歳)。東南部ドンナイ省在住の枯葉剤被害者の女性だ。
(C) danviet, ディン・ティ・ホアン・ロアンさん |
初めて彼女に会ったのは、ホーチミン市で開かれた障害者向けの詩の朗読会だった。彼女は発語がうまくできないので、初めは母親の通訳に頼らざるを得ない。額には汗びっしょり、頭をぴくぴくと痙攣させながら必死で話そうとする娘を見て母親は涙を拭った。娘が生まれてからは辛い日々の連続だったという。
彼女の父親は退役軍人だ。1960年代の後半、まだ20歳にも満たない頃に入隊し、第1ドンナイ中隊の一員として戦った後、D戦区に移動。父親はここで米軍が散布した枯葉剤を浴びてしまう。ロアンさんが奇形児として生まれてきた時、皆が彼女の将来を心配したという。両手は曲がり、両足は痙攣し、口の形も歪んでいた。20歳までは家よりも病院で過ごす時間が長かった。生まれつき障害のある彼女にとっては、食事からトイレまで日常生活の全てが困難だった。
ロアンさんが5歳になった頃、2歳年下の妹が同年代の他の子供達と同様に徐々に言葉を覚えはじめていた。妹が喋り出すのを見て、ロアンさんもそれを真似るようになった。言葉を発しようとするだけで彼女は汗びっしょりになり、口元が疲れる。それでも彼女はあきらめなかった、普通の子供が1日や1週間でできるようになることも、彼女には1か月必要だった。そしてようやく「お母さん」と言えるようになったのだ。