ロアンさんは打ち明ける。「私は人生のほとんどを家や病院で過ごしてきました。私にとって世界とは何も書かれていない真っ白な本のようなものなのです。そこに私は思う存分美しい地平線や見たこともないような風景を描けるのです。私が詩を書けるのも、自然を愛する心や、無心になれること、母や祖母から聞いた昔話のおかげだと思います。詩は私の心の中にある静かな渇望を表現してくれるのです」
(C) danviet, ディン・ティ・ホアン・ロアンさん |
2007年に書いた「私の足」は、彼女が初めて書いた詩だ。その中にはこんな文章がある。「足は曲がり指は小さい/月日が経つに連れ母の目には悲しみが募る/父の額に刻まれた苦悩の跡/口元は笑っていても心は涙に暮れている」彼女はドンナイ省の枯葉剤被害者センターで、この詩を母親の助けを借りながら皆に読み聞かせた。
彼女の詩はそこにいた者の涙を誘った。特に同センターのハイン副所長は、彼女の詩の才能に感銘を受けたという。その後も彼女は詩を書き続け、2009年11月に英越友好協会のレン・アルディス会長の訪問を受けた際、同氏宛てにいくつかの詩を書いた。その一つを紹介しよう。「この両足は困難を恐れない/光り輝く友好の心/一つの心はたくさんの心とつながっている」
2011年には、多くの人の支援を受けて、初の詩集を発行した。また、その年の4月に出版された障害者の作品集「心の詩集」でも、全97本のうち10本が彼女が書いた詩となっている。
詩集を出版する資金は、慈善団体の寄付金から賄われた。2013年9月には2冊目の詩集「車いすの渇き」を発行。彼女が自らパソコンを使って書いた90の詩が収められている。ロアンさんは言う。「希望に向かって手を伸ばし続けることです。たとえ天に手が届かなかったとしても、星には願いが届くでしょう。詩を書くことで、私の心と体は、遠い空に輝く星にだって辿りつくことができるのです」