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21時30分、スマートフォンの画面に「配達」の文字が光る。トン・タン・クオックさんは、今日1日の仕事をスクロールして振り返ると、画面をタップして、バイクを外に出した。
目的地に着くと、片足跳びで店内へ。食べ物の入った袋を受け取り、配達へ。仕事が終わったのは22時のこと。こうして一本足で街を配達して回って、もう3年になる。
彼が右足を失ったのは2017年、16歳の時だった。激しい痛みが、片方の足を突然襲った。様々な病院にかかったが症状は一向に良くならず、最終的にホーチミン市の病院で、骨のがんであると結論付けられた。医師からは、放射線治療をして、がん細胞が転移しないよう、片足を切断することを勧められた。
事実にクオックさんはショックに打ちのめされ、母親はただ涙を流して、我が子の足を揉むだけだった。「平気よ。病気は治るものなんだから」。
手術前夜は眠れなかった。そして術後に目覚めてみると、消えた片足と骨に染みる痛みに、涙が止まらなかった。2年にわたる放射線治療で髪は抜け落ち、体は瘦せ細り、大学へ行く道も、閉ざされた。
病床のため息を、励ましてくれたのは両親だった。松葉杖は慣れず、進もうとすれば転んだ。一番大変だったのは、三輪バイクから、普通の二輪バイクに乗り換える時だ。そろそろと動き出すバイクの後部座席で足を踏ん張る父の姿が、クオックさんの胸を熱くした。