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一方、トゥイさんは狂ったように息子の将来を心配していた。当時、トゥイさんは自分が早く死んでしまい、息子の世話をする人が誰もいなくなることをとても心配していた。化学療法の期間中もトゥイさんは忙しく働き、自分ががんなのだと考える余裕もなかった。
貿易会社を退職し、トゥイさんは手作りのパンやお菓子を売り始めた。普段は様々な種類のパンを作り、季節に応じて月餅やちまき、煮こごりなどを作って販売した。当時のトゥイさんは、化学療法の点滴が終わると針を抜いて仕事に戻っていた。
長い間、トゥイさんは活動時間を確保するため1日3時間程度の睡眠で過ごした。限られた時間の中で、生活のためにパンやお菓子を作って販売し、息子と一緒に運動し、勉強にも付き合った。あと数か月しか生きられないとしても、その残された数か月を子供のために使い、全力を尽くさなければと思っていた。そしてトゥイさんはその壮絶な闘病期間を見事に乗り越えた。
2015年12月3日に最後となる8回目の治療を終えると、トゥイさんは毎月1回の卵巣機能抑制剤の注射と、女性ホルモンを抑制するための薬を5年間毎日飲み続ける必要があった。
薬の副反応で髪がすべて抜けてしまい、外見が男性のように変化した時期もあった。このままいつか本当に男性になってしまうのではないかと心配したこともあったが、もしそうなったとしても、生き続けることができて、息子の成長を見ることができるのであれば、トゥイさんにとってはそれが何よりの幸せだった。