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ニャチャン市の美しい海沿いを走る多くのシクロ運転手やタクシー運転手は皆、誰かと揉めごとを起こすこともなくたった1人で生活していたハイさんのことを知っている。同業者の間でも、ハイさんが家族や親しい人について話すのを聞いた人はいない。ハイさんは1人静かにシクロ運転手の仕事をし、疲れたら公園にシクロを停め、その上に座って弁当を食べ、酒を飲んで1日を過ごしていた。
「ハイさんは長い間、病気でした。病院に行くお金もなかったので何の病気だったのかはわかりませんが、右肘に瘤がありました。2020年の旧暦4月6日の朝7時に、ハイさんは疲れたと言いながらシクロを停めて横になり、その20分後には逝ってしまいました。今シクロがある場所から1m離れた場所で亡くなったんです。ハイさんが亡くなった時、警察が来て役所仕事をしていきましたが、私たち同業者は彼を想い、通りすがりに線香をあげられるよう、彼の生活の場だったシクロの上に祭壇を設置しました」とミンさんは語る。
ミンさんもハイさんと同じ公園にシクロを停めていたため、度々ハイさんのシクロと並ぶことがあり、何度か一緒に杯を交わしたこともある。しかし、交わす会話は互いの仕事やその日の暮らしについての話がほとんどだった。ハイさんが亡くなった日、ミンさんと同業の仲間は一緒に撮影した写真がないか探し、ハイさんの遺影を作成した後、遺影用の額縁に納めた。
「ハイさんは毎食弁当と飲み物だけで過ごし、人と交流はせず、1人静かに生活していました。祝日だろうと雨だろうと変わらずシクロの上で過ごし、雨の日は屋根がある場所までシクロを移動させ、そこでシクロの上に横たわっていました」とミンさんはたばこに火をつけ、線香立てに挿しながら教えてくれた。