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トンドゥックタン大通り(Ton Duc Thang)
サイゴンで最も大きく最も古い通りで、フランス植民地時代は3つの異なる通りに分かれたいた。1つ目の区間はカインホイ橋(Khanh Hoi)からメーリン広場(Me Linh)まで、2つ目はメーリン広場からバーソン工場(Ba Son)まで、3つ目はサイゴン川岸からグエンティミンカイ通り(Nguyen Thi Minh Khai)までとなっていた。
1865年、この通りはシタデル大通り(Citadelle)と名付けられ、1901年までにルロ通り(Luro)となり、1955年にはサイゴン政府によりクオンデー大通り(Cuong De)に変わった。
1980年までに、クオンデー大通りはトンドゥックタン通りとなったが、レズアン通りからグエンティミンカイ通りまでの区間はディンティエンホアン通り(Dinh Tien Hoang)に含まれることとなった。
その後、都市の発展とともに、ガリエニ大通り(Boulevard Gallieni、現チャンフンダオ通り(Tran Hung Dao))やハノイ大通り(Xa lo Ha Noi)が、さらに時が経ってボーバンキエット通り(Vo Van Kiet)やマイチート通り(Mai Chi Tho)、ファムバンドン通り(Pham Van Dong)などの大通りが次々とできていった。
しかしながら、サイゴンで最初にできた5つの大通りは現在もホーチミン市中心部の重要な通りとして今も残っている。
なお、ジュール・ ボワシエール(Jules Boissiere)は1874年に「サイゴンには6の大通り (boulevard)と40の通り(route/rue)がある」と記している。かつては現在のグエンティミンカイ通りにあたるシャスル・ロバ通り(Chasseloup Laubat)も「大通り」に含まれていたためだ。
シャスル・ロバ通りは、中部地方や北部地方へ向かう道であり、現在のカックマンタンタム通り(Cach Mang Thang Tam)につながる道でもあった。しかし、道幅が10m余りだったことから、20世紀初頭のフランスによる地図の多くでは「大通り」から「通り」に格下げされていた。