(C) VN Express, クインさんとブランディ 写真の拡大 |
麦わら帽をかぶった背の高い年配の米国人男性が、手にアルバムを携え、ホーチミン市の狭い路地を行き来する。ジェリー・クインさんは、まだ見ぬ息子を探して40年ぶりにベトナムへ戻ってきた。
クインさんは、ベトナムに送られた200万人に上る米軍兵士の一人。当時、ベトナム人女性と米軍兵士の間におよそ10万人もの子供が生まれたと推測されている。最近、歳を重ねた元米軍兵士たちが、罪の意識を感じたり、子供のその後の人生を知りたいという思いを募らせ、我が子を探しているという。
「40番地に住んでいたことは覚えているのですが」。クインさんがかつてベトナム女性と生活を共にしていたあたりの道を探したが、40番地の家はない。通訳のフン・ファンさんと共に、小さな路地の一軒一軒を虱潰しに回った。
ファンさんはこれまで20年にわたり、数十人の元米軍兵士の子供探しを手伝ってきた。彼の所属する非営利団体「ファーザーズファウンデッド(Fathers Founded)」を運営するデンマーク人のブライアン・ヨートさんは、1980年代にベトナムを訪れたとき、米軍兵士が残していったベトナム人女性との混血児たちが路上で生活している様子を目の当たりにし、心を痛めたという。
子供たちの中で、父親の写真を持っている子や、名前を覚えている子については、米国に照会してすぐに父親を特定できたという。だが、電話して子供の存在を伝えた時の父親の反応に、しばしば驚かされた。「なぜ電話してきた、金が目的か」、「ベトナムとは関わり合いたくない」、「そいつは俺の子じゃない」と、大声で怒鳴られたという。
だが、クインさんは違う。彼は牧師で、現在は台湾に住んでいる。アジアへの派遣が決まったとき、「神が、自身の過ちを悔い改め、父親の責任を果たすよう告げている」と感じたという。