(C) VN Express, クインさんとブランディ 写真の拡大 |
その後クインさんは、ブランディの写真を自分のフェイスブックページに掲載し、彼の息子が現在40歳で、「ブイ」という苗字であることを書きとめた。すると、米国のニューメキシコ州アルバカーギという町に住むゲーリー・ブイと名乗る男性から連絡があった。この男性は40歳で、自分が息子である可能性が高いという。
クインさんはアルバカーギへ向かう道中、「彼は私を受け入れてくれるだろうか。抱かせてくれるだろうか」とずっと考えていた。ゲーリーさんが電話で、「人生で感情を抑えることを学んだ」と言っていたのが心にひっかかった。
タクシーがゲーリーさん宅につくと、家の外でゲーリーさん一家が揃って待っていた。少し似たところのあるゲーリーさんの顔を見た瞬間、息子だと確信した。クインさんはタクシーから転げるように出ると、我が子を強く抱きしめた。ゲーリーさんもそれに応え、二人で泣いた。
ゲーリーさんは、自分の生い立ちを噛み締めるように話した。米軍兵士を父に持つ子供の身を案じ、ブランディは知人に子供を預けて、サイゴンから脱出させたという。 「ジャングルの中で粘土の小屋を作って暮らしていました。食べ物にはいつも困っていた」。ゲーリーさんは他の混血児と同じく差別を受けながら生きていた。4歳のときに孤児院に収容され、その4年後に米国政府が実施した米軍兵士の子を救済するプログラムでニューヨークに渡り、米国人家族の養子となった。ゲーリーさんは、クインさんが持っているものと同じブランディの写真を大事に持っていた。
「まさか一人ぼっちでいたとは。母親と一緒にいるとばかり思っていた」。息子のこれまでの苦労を知ったクインさんは、罪の意識で押しつぶされそうだった。「でも、私はお前のことを知ることができて本当に良かった。これからのお前の人生に、この私も加えて欲しい」。40年間交わることのなかった父と子の人生が、ようやく繋がった瞬間だった。