(C) VN Express, クインさんとブランディ 写真の拡大 |
1973年、ブランディと呼んでいたベトナム人の恋人が妊娠したため、二人は混乱した状況の中、結婚手続きを行う方法を探していた。だが当時、米軍兵士に帰国命令が出始めており、クインさんも帰国せざるを得なくなってしまった。
「私は1年間、彼女に毎月100ドルを送り続けました。でも、彼女の手元に届いているのかどうかもわかりませんでした」。ブランディは彼に3枚の写真を残した。40年たった今、彼はその写真を会う人会う人に見せている。1枚は背の高い20歳前後の美しいベトナム女性のポートレート、1枚はアオザイ姿でクインさんと写っているもの、もう1枚は白いカーデガンを羽織っている写真だ。
情報を何も得られず何日か過ぎ、クインさんが絶望を感じ始めた時のこと、クインさんたちがかつて住んでいた家の近くの麺屋の主人に会うことができた。彼女はアルバムのページをめくって眺めていたが、写真に写っていた別の女性を見つけて手を止めた。
「彼女はこの辺に住んでいたよ。今はアメリカに住んでいるけど、時々ベトナムに戻ってくる。彼女の娘が昨日うちに食べにきたばかりだよ!」と言い、写真に写っていた女性と連絡を取ってくれることになった。
麺屋の店主が店に呼びだしてくれたキムという女性は、米国人の夫と共に近くのホテルに宿泊していた。アルバムを見てもらうと、彼女はブランディの写真を見て叫んだ。「彼女と大の仲良しだったの! 彼女が男の子を出産するのを手伝ったのよ」。残念ながら、息子の名前までは覚えていなかった。
クインさんは、目に涙を浮かべながら彼女の手を取ってこう言った。「私はもう二度と息子に会えないかもしれない。せめて、息子を抱いたことのある手を握らせてください」と嗚咽した。ベトナムの小さな麺屋で大きな米国人が女性の手を取って泣いている姿を周囲は驚いて見守る。このシーンで、クインさんの息子探しの物語は終わるかと思われた。