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「真珠のトゥアン」と呼ばれる青年がいる。彼はベトナム初の真珠ブランド「ホアンザー・パール」を生み出した人物だ。穏やかな顔つきをした長身の青年ホー・タイン・トゥアン氏は、真珠への愛とベトナムブランドを世に出したいという情熱と共に歩んできた人生について熱く語ってくれた。
10数年を振り返ってみると、思いがけない人生の選択がこれほどまで長い道のりになるとは思っていなかったという。トゥアン氏は技術系大学を卒業した後、IT系の大企業に就職した。彼は会社の業務でたまたまベトナムの海で真珠の養殖に取り組んでいるフランス専門家チームのウェブサイト制作を担当することになった。ちょうど真珠に詳しい親戚がいた彼は、真珠に関する知識を仕入れることができ、ウェブサイトは依頼主の満足のいく仕上がりになった。
その後、彼に思いがけない二つのオファーがあった。一つは、外国専門家チームがベトナムで真珠の養殖に取り組むプロジェクトがあるので、そのパートナーになってくれないかという打診。もう一つは、勤め先の管理職にならないかという打診だった。いずれも嬉しい知らせであり、どちらにするか色々考えた末、新しいことにチャレンジしようと、真珠養殖の道を選ぶ。彼はその後6年間に亘って、故郷から離れた島で研究生活をすることになった。
だが、2007年に始まった世界金融危機により、外国専門家たちは次々とプロジェクトを中断して帰国してしまったため、全責任が彼の肩に重くのしかかった。疲れ果ててすべて投げ出したくなったこともあったが、6年かけて取り組んできたこの仕事をどうにかしてやり続けるため、彼は賭けにでる。全財産を売り払い、さらに借金をして、中断しかけたプロジェクトを継続したのだ。また、世界中の真珠養殖地を訪ね歩き、海外の専門家から知識を得た。土壌、水、真珠貝の種類、移植や交配などの養殖方法を研究し、故郷の海に最も相応しいのは何かを探り続けた。