ボン橋(Cầu Bông) ※別名:カオミエン橋(cầu Cao Miên)
資料によると、ボン橋は18世紀(1736年)に建設されたという。この橋は木材でできており小さくて短いが、古くて有名な橋だ。
ボン橋という名前の由来については諸説あるが、有力説は次の通り。レ・バン・ズエット(1763~1832年)率いる軍が橋の近くに花壇を造ると、人々はこの橋を「ホア(ベトナム語で花の意味)橋」と呼び始めた。しかし、「ホア」は阮(グエン)朝(1802~1945年)第2代皇帝ミンマン(明命)帝の皇后と同じ名前であったため、この呼び名を避けて「フエ橋」と訛って呼ぶようになった。その後、南部の言葉で花を意味する「ボン橋」に変わった。
200年以上の歴史の中で、ボン橋は何度も崩壊したが、同地域の要となる橋だったことから、すぐにもとの場所に再建されてきた。2013年10月、ボン橋は解体後に再建され、新たなボン橋として生まれ変わった。2014年6月には、車両の通行が再開された。
ニティエンドゥオン橋(Cầu Nhị Thiên Đường)
ニティエンドゥオン橋は、1925年に建設された。長さは約1kmで、8区とチョロン地区(5区・6区・11区の一部)の運河を結んでいる。この橋は長い歴史を持っているだけでなく、国道50号線に通じ、チョロン地区と南部及びメコンデルタ地方の各省を結ぶ門戸としての役割を果たしてきた。
この橋の建築の特徴は、橋の上に立つモスグリーン色の柱と、ヨーロッパの昔の橋と共通するアーチ状の橋げただ。また、鉄橋の全盛期に建設されたにも関わらず、ニティエンドゥオン橋は例外的に全て鉄骨コンクリートで設計された。
90年が経った今、老朽化が進んでおり、ホーチミン市交通運輸局は約1630億VND(約9億2000万円)を投じて第2ニティエンドゥオン橋と同じように再建する計画を提案している。