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マイさんの送迎と世話に時間を費やすことになったニョーさんは仕事を辞めて専業主婦となり、家族の経済的負担は農作業をする夫1人にかかっていた。家族の生活は経済的に困難ではあったが、ニョーさんと夫は常にマイさんが学業を続けられるよう支えた。
「身体が欠損していることで、人生の多くのチャンスを失いかねません。だからこそ、学業がより重要になるんです。私は娘に、学校に通える健康さと両足があるあなたは十分幸運だ、といつも伝えています」とニョーさんは話す。
小学生の時、マイさんは書写の試験を受けた。絵の才能もあったマイさんは、中学生になるとクラスの壁新聞の装飾活動に参加するようになった。高校最後の学年の今は、母親に代わってクラスメイトに学校まで連れて行ってもらうようになった。
学校の友人たちや先生たちの愛情を受けて、マイさんはより自立し、より自信を持つことができるようになった。
マイさんいわく、幼い頃は内気で口数も少なく、自分は人と違うと感じていたため、友人と関わることもほとんどなかったという。母親のニョーさんはそんなマイさんを見て、娘に悲しい思いをしてほしくないと、友達と外で遊ぶよういつも促していた。
そして、2人の子どもたちを養うために苦労してお金を稼ぎながら、さらに娘がふさぎ込んでいることで悲しんでいる両親を見て、マイさんは自分自身が変わろうと決意したのだった。
高校1年生に上がってすぐの頃、マイさんはまだ内気な性格だったが、友人や先生に励まされて、11月20日のベトナム教師の日を祝う歌のコンテストに出場することにした。