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選ばれた場所はタンチャオ基地からも近く、貨物の輸送にも便利なミンタイン村だった。ここは山脈に囲まれた谷で、谷にある広大な田んぼに農民が稲を植えていたほか、自生する野生植物もたくさん植わっていたため、航空機の離着陸とカモフラージュにも好都合だった。
そして、軍の部隊と近隣の村の人々を動員して、空港の整備が始まった。当初は完成まで1週間の予定だったが、わずか2日間の整地作業でこの野戦空港ができあがった。空港は全長400m、幅20mで、米国の軍用機「L-5」の離着陸が可能だった。
ルンコー空港に最初に着陸したのは、連合軍の士官2人と、タンチャオ基地にいる連合軍への食糧と医薬品を載せた航空機だった。その後も昆明とタンチャオ基地の間を、連合軍の送迎と医薬品や武器の輸送の目的で何便もの航空機が往来した。
ベトナム革命のさなか、まさにベトナム民主共和国が成立する直前のその時期に、北ベトナムの基地に野戦空港を整備したことは、連合国との通商の始まりという意味でも歴史的に重要な出来事だった。さらに、タンチャオ基地に多くの装備や武器、弾丸などを供給し、その後の総蜂起に備えるのにも貢献した。