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「今でも毎日、10~20錠もの鎮痛剤を服用しなければなりません。ギブアップして自由になりたいと思ったこともありますが、病院のベッドに横たわって、年老いた母が必死でごはんやお粥を食べさせてくれたり、電話で子どもたちの声を聞かせてくれたりする様子を見て、そして仲間や病院の先生、看護師の皆さんが励ましてくれて、思いとどまることができたんです」とズオンさん。
車椅子に座り、自宅の壁に飾ってある国家主席から贈られた3枚の表彰状に目を向けながら、ズオンさんは死んだ仲間や空を心から恋しく想い、また軍隊時代のことを思い出して涙を流した。ズオンさんのような元兵士にとって、パラシュート降下訓練で空を漂った日々は、最も美しい思い出なのだ。
「残念ながら、空を飛んだりパラシュートで降下したりすることはもうできません。でも、こうして生きているというだけで十分に幸運なことなんです。今はただ、後輩たちが知識を学び、磨きをかけ、経験を積んで、かつての私たちよりも優れた戦闘スキルを身につけてくれたらと願っています」とズオンさんは語る。
毎年7月7日とテト(旧正月)になると、ズオンさんと家族は事故現場を訪れる。事故現場にある記念碑には犠牲になった20人の遺影が厳粛に飾られている。