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「娘はエスカレーターにも乗ることができないので、家族で1歩ずつサポートしながら、階段で応接室に向かいました。その努力が実を結び、卒業式で娘の幸せな瞬間に立ち会うことができました。ほんのわずかな時間でしたが、娘にとっても、私たち家族にとってもとても意味のあるものでした」と、ハオさんは感慨深げに話す。
アインさんには双子の妹がいる。妹のグエン・チュック・アインさんは、ハノイ薬科大学の学生だ。母親のハオさんによると、2人は妊娠7か月目のときに早産で生まれ、生まれてから20日間は中央小児病院の保育器の中で過ごさなければならなかった。
生後18か月のとき、家族がマイ・アインさんを病院に連れて行くと、医師から痙性脳性麻痺と診断された。
「医師の話が終わり、私は病院で震えながら泣きました。でも、その後、強くいなければと自分に言い聞かせました。自己憐憫に陥ったって何も変わりませんし、一縷の望みに賭けようと思ったんです」とハオさん。
それ以来、3か月間の夏休みに入るたびにハオさんとマイ・アインさんは数百kmの道のりを越え、リハビリのためにフート省からハノイ市の中央小児病院へと通った。夏が終わるとフート省に帰り、自宅でもリハビリを続けた。
両親ともに教師で、当時の2人の給料ではマイ・アインさんの薬や指圧などの治療費をまかないきれなかった。それでも、誰かが良い薬があると言えば、買いに行った。