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情報を交換した数日後、早速ホンさんはDNA鑑定のために自分の髪の毛と爪をベトナムに送った。結果を待つ数日間、眠れない夜を過ごしたが、鑑定結果は不一致で、ホンさんの希望は打ち砕かれた。
「私は泣きたい気持ちとそうでない気持ちの半々でした。母を見つけることができればもちろん嬉しいですが、不一致の結果でも、彼らの子供を見つける手伝いをするつもりです」とホンさん。
少し前に、ホンさんの義理の娘が米国からベトナムに来て、かつてホンさんが捨てられていたマンションや孤児院を再訪して調査を行った。ホンさんも母親を探す手がかりをつかむため、より多くのベトナムのメディアで自身の話を公開したいと希望している。
ホンさんは母親を探すにあたっての追加情報として、自身の左耳たぶの下にあざがあること、また遺伝子分析によると中国の血が若干入っているため、母親の血統は中華系である可能性が高いことも明らかにしている。
ホンさんにとって、母親を見つけたいという思いは日に日に増し、特に父親を見つけてからはさらにその気持ちが強くなっている。物理的な距離は4000kmも離れているが、ホンさんは時間を作っては頻繁に父親に会いに行っている。
ホンさんの父親は戦争の後遺症で身体が弱っている。しかし、2人の息子たちによれば、もともとあまり笑うことのない父親が、ホンさんが来るときはいつも嬉しそうなのだという。
50年以上生きてきて、自身も子供がいるホンさんは、自分を捨てた母親を責める気持ちはないと話す。彼女はただ母親を見つけ、米国に迎え入れて老後の面倒を見たいと考えている。
「幼い頃から母を探し続け、いつも母の夢を見ては泣いていました。大きくなればなるほど母の存在が恋しくなりました。歳を取るにつれ、自分の中に流れているアジア人の血について考えるようにもなりました」とホンさんは語る。
「長い間、私の心にはぽっかりと穴が開いていました。父を見つけることができても、その穴は半分しか埋めることができていません。母を見つけた時に、その穴を完全に埋めることができるのだと思っています」とホンさんは付け足した。