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ホンさんは20歳で結婚し、3人の子供をもうけた。日々の生活は忙しかったが、それでもホンさんの母親を探したいという思いが薄れることはなかった。
「父と私は、妻が自分のルーツを見つけられるようサポートしましたが、当時はただ色々な人に聞いて回る以外に方法がありませんでした」と、ホンさんの夫であるクオック・チャウさん(58歳)は教えてくれた。
2016年、ホンさんは40年以上ぶりにベトナムに戻った。故郷に足を踏み入れた時、ホンさんは親しみを強く感じたが、一方で断片的で漠然とした記憶しかなかった。
かつてホンさんが捨てられていた場所とホアビン孤児院を見つけることはできたが、米国に渡る際の書類にサインをしたチュー・バン・タン氏はすでに亡くなっており、1975年以前にそのマンションに住んでいた人ももういなかったため、ホンさんの母親に関する手がかりは行き詰まってしまった。
2018年、ホンさんはDNA鑑定を受けて「Ancestry Library」 に提出し、ついに米国人である父親を見つけた。「母を探すつもりで、父を見つけることができたんです。再会はとても素晴らしいものでした」とホンさん。
米国人の父親は1967年3月8日から1968年3月3日までベトナムで戦った空軍兵だった。しかし、当時は週末ごとに違う女性と会っていたため、ホンさんの母親の記憶は全く残っていなかった。「父がベトナムにいた時期から考えると、書類に書かれている1969年11月30日という私の生年月日はありえません。父によると、私は1968年に生まれたようです」とホンさんは語る。
その後もホンさんは、DNA鑑定のサイトや混血児のグループなどで母親の情報を探し続けた。そして2022年初め、ホンさんがあるユーチューブ(YouTube)チャンネルで母親を探している話をしたところ、わずか半日で東南部地方ドンナイ省に住む家族からDNA鑑定を依頼する連絡があった。
連絡をくれた1937年生まれのバン・ティ・フエさんと彼女の子供や孫たちは、ホンさんの幼い頃の写真や現在の姿と比較すると多くの類似点があり、さらにこの家族は幼い頃に行方不明になったホンという名前の子供を探し続けていた。ホンさんの心に、希望が湧き上がった。