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そんな中、ドゥックさんの両親は、今回の隔離で「何年も忙しくし過ぎていた」という気付きもあった。こんなにも長い休みは初めてだった。テトのために育ててきた鶏は、隔離期間中に少しずつ食べることにした。少しは子供たちのためにとっておき、隔離期間が終わった後の旧暦1月6日(新暦2月17日)に、少し遅れたテトを皆で迎える予定だ。
東北部地方カオバン省在住のホアン・フエさんにとって、今年は結婚して以来最高の年になるはずだった。結婚して4年、東洋医学に西洋医学に何回もの治療を経て、2020年にやっと妊娠したのだ。
以前は不妊ゆえに故郷に帰るたびに近所の人たちからあれこれ言われていたが、もうその心配もなくなり、フエさんは今年のテトに帰省するのを楽しみにしていた。
「ここ何年も、同窓会には行っていませんでした。友人たちは子供を連れているので、自分がみじめで。でも今年は同窓会の知らせを見てすぐに参加を申し込みました」とフエさん。フエさんは2月中旬ごろに出産予定だが、テトの外出用にマタニティ服を2枚も新調した。
しかし、1月中旬に出産の兆候が現れた。同僚たちは早く産休に入るよう勧めたが、フエさんは出産後に少しでも多くの時間を子供と過ごせるよう、出産前に働けるだけ働いておきたかった。
それから数日後、新型コロナの市中感染が発生した。フエさんの会社でも、社員の家族が陽性となり、妊婦のフエさんは接触者の接触者(F2)となってしまった。F1の同僚は2回の検査で陰性の結果が出たが、フエさんは自宅隔離を続けなければならず、夫も田舎で仕事をしていたため、食事はデリバリーに頼るしかなかった。
出産が早まりそうだとわかったものの、フエさんは故郷に帰ることができないでいる。「医療スタッフが1日に1回、経過観察のために電話をかけてくれます。重要なのは、国中が意識を高めることが必要なときに、自分自身がその意識を失くさないことです」とフエさん。
フエさんが出産するときに夫にそばにいてもらう唯一の方法は、専用の自動車をチャーターして夫に帰ってきてもらい、その後は夫婦で自宅隔離を行うことしかない。「でも夫はこの方法に躊躇しています。彼は怖いんでしょう、とりあえず待とうと言っています」と、フエさんはがっかりだ。
フエさんは自宅に1人で寝そべりながら、出産前の大事な時期に外にも出られず、自分がみじめに感じられ、悲しく、苛立たしい気持ちになった。不安と怒りの日々を過ごした後、フエさんは予定通りに出産の日を迎えられれば、そのときにはもう隔離期間は終わっている、と自分に言い聞かせた。
そして、もし予定より早く産まれたとしても、落ち着いて「天使」を迎えられると信じている。フエさんは「都市部にいて、医療の心配をする必要はありませんから」と自分自身を励ました。