[特集]
新型コロナ禍、初めて迎える家族離れ離れのテト
2021/02/07 05:25 JST更新
(C) vnexpress |
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間もなくテト(旧正月)を迎えるが、クアン・ティンさん夫婦は、故郷で離れて暮らす5歳の息子に今年のテトは帰れないことをまだ伝えられずにいる。
「1年のうち10か月は離れて暮らしているので、息子に会いたいです。47歳にして初めて、故郷から離れたところでテトを迎えます」とティンさん。
ティンさん夫婦は北部紅河デルタ地方ハイズオン省出身で、今は北中部地方タインホア省の海沿いの村でお粥屋を営んでいる。夫婦は毎日、故郷で暮らす息子に電話をかけているが、テトに会えないことを伝える勇気はまだない。
ハイズオン省チーリン市で新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の集団感染が発生したというニュースを知り、ティンさんは故郷の家族や親戚が感染者と接触してしまうのではないかとうろたえた。その日、北中部地方は暖かかったが、携帯電話を握る手は震えていた。
ティンさんの故郷は感染流行地域のチーリン市から約50km離れたタインミエン郡だ。ティンさん夫婦は、まだ市中感染が発生していなかった1か月前に帰省し、2人がタインホア省に戻った後にチーリン市で感染が確認された。
2人とも健康状態に異常はなく、新型コロナに感染していることはないと思いつつも、ハイズオン省での滞在歴があったことから、念のためタインホア省の診療所で健康申告を行った。
「その行動は、地域社会への責任意識を示すためであり、また他の省からタインホア省に来て地元の人を相手に商売をする人間としての信頼を築くためでもありました」とティンさんは語る。
健康申告の手続きと検温を終えて、夫婦は自宅に帰り、規定に沿って自宅隔離を行った。感染のリスクがないことがわかり、当局の許可を受けてテト期間中もお店を開けることになった。
ティンさんは毎日、近所の人に頼んでお店のお粥を買ってもらったり、電話注文を受けたりしながら営業を続けている。ただし、客に引き渡す際にはお店の前の椅子に商品を置いておき、ティンさんがその場を去ってから客が持っていくという形で、互いに接触しないように工夫している。
今から4年前、ティンさん夫婦は息子も一緒にタインホア省へ移り、お粥屋を開くことに決めた。以来、小さい子供から大人まで、村の人々がお店にやって来るようになった。ティンさんは「新型コロナ禍で店を開き、理解してくれる人は応援してくれますが、中には失礼なことを言ってくる人もいます。それは構いませんが、テトに息子と離れ離れということばかり考え、つらくなります」と沈んだ声で話した。
タインホア省に移って家族3人で暮らしていたティンさんだが、息子が4歳になると、幼稚園に通わせるために故郷にいる母方の祖父母に息子を預けることにした。1年のうち、家族が長い時間を一緒に過ごせるのは、夏休みとテト休みだけだ。
ティンさんは今年、旧暦12月28日(新暦2月9日)に帰省するつもりだった。例年は父親が桃やキンカンの木を買い、母親が子供に新しい服を買う。しかし今年はテトの訪れととともに新型コロナも「訪れ」、夫妻の帰省は叶わない。「自宅はテトの準備を整えていますが、心は全くテトの気分じゃありません」とティンさんは悲しげに笑った。
それでも、ティンさんは前向きに考えるようにし、落ち込んでいる妻にも励ましの声をかけている。「幸い、故郷も私が今いる所も、危険な地域には含まれていません。たくさんの家族が隔離のために離れ離れになっていて、それでも皆、乗り越えていますから」。
ティンさんは、息子を元気付けるため、両親に頼んで代わりにテトの買い物をしてもらい、さらに大晦日にはオンラインで家族皆で一緒に新年を迎えるつもりだ。
ミン・ドゥックさんとフエン・ミーさんの夫婦は、家族が感染流行地域のハイズオン省チーリン市にいるため、テトに実家へ帰ることができなくなった。ドゥックさんの母親はチーリン市内の小学校の教員で、多くの生徒や保護者と接触するため、近しい人が感染すれば、ドゥックさんの母親も接触者(F1)になる可能性がある。チーリン市も封鎖されている。
ベトナムで56日ぶりの市中感染が発表された1月28日の朝、メディアで報じられる前にドゥックさんは家族から市中感染のことを聞いた。20日前にチーリン市の実家を訪れたばかりだったドゥックさんは、すぐに退社し、自宅隔離に入った。妻のミーさんは少し前に大きな手術を受けたばかりだったこともあり、ドゥックさんの心は妻と両親に対する心配でいっぱいだった。
チーリン市で市中感染が発生したことを知ると、ミーさんはすぐにマスクや手指消毒剤、免疫を高める薬などをオンラインで購入し、チーリン市の自宅で隔離中の夫の両親のもとへ送った。母親がストレスを感じていることを知り、ドゥックさんは時々電話をかけて励ました。また、ドゥックさん夫婦も健康申告を行い、両親と同じく21日間の自宅隔離を受けることになった。
市中感染の拡大は、すなわちミーさんが初めてテトを夫の実家で迎える計画が白紙になったということでもあった。ハノイ市で生まれ育ったミーさんは、田舎でテトを迎えたことがなく、ミーさんが2歳のときに両親も離婚しているため、夫の実家で、家族皆で過ごすテトを楽しみにしていた。
夫婦は1か月前からテトに何を買うか話し合い、ミーさんはたくさんの菊の花を買って庭を黄色一色にしたいと語っていた。一方、ドゥックさんの両親も、テトに帰省する息子夫婦をもてなすため、自宅で鶏や野菜を育てて準備していた。
そんな中、ドゥックさんの両親は、今回の隔離で「何年も忙しくし過ぎていた」という気付きもあった。こんなにも長い休みは初めてだった。テトのために育ててきた鶏は、隔離期間中に少しずつ食べることにした。少しは子供たちのためにとっておき、隔離期間が終わった後の旧暦1月6日(新暦2月17日)に、少し遅れたテトを皆で迎える予定だ。
東北部地方カオバン省在住のホアン・フエさんにとって、今年は結婚して以来最高の年になるはずだった。結婚して4年、東洋医学に西洋医学に何回もの治療を経て、2020年にやっと妊娠したのだ。
以前は不妊ゆえに故郷に帰るたびに近所の人たちからあれこれ言われていたが、もうその心配もなくなり、フエさんは今年のテトに帰省するのを楽しみにしていた。
「ここ何年も、同窓会には行っていませんでした。友人たちは子供を連れているので、自分がみじめで。でも今年は同窓会の知らせを見てすぐに参加を申し込みました」とフエさん。フエさんは2月中旬ごろに出産予定だが、テトの外出用にマタニティ服を2枚も新調した。
しかし、1月中旬に出産の兆候が現れた。同僚たちは早く産休に入るよう勧めたが、フエさんは出産後に少しでも多くの時間を子供と過ごせるよう、出産前に働けるだけ働いておきたかった。
それから数日後、新型コロナの市中感染が発生した。フエさんの会社でも、社員の家族が陽性となり、妊婦のフエさんは接触者の接触者(F2)となってしまった。F1の同僚は2回の検査で陰性の結果が出たが、フエさんは自宅隔離を続けなければならず、夫も田舎で仕事をしていたため、食事はデリバリーに頼るしかなかった。
出産が早まりそうだとわかったものの、フエさんは故郷に帰ることができないでいる。「医療スタッフが1日に1回、経過観察のために電話をかけてくれます。重要なのは、国中が意識を高めることが必要なときに、自分自身がその意識を失くさないことです」とフエさん。
フエさんが出産するときに夫にそばにいてもらう唯一の方法は、専用の自動車をチャーターして夫に帰ってきてもらい、その後は夫婦で自宅隔離を行うことしかない。「でも夫はこの方法に躊躇しています。彼は怖いんでしょう、とりあえず待とうと言っています」と、フエさんはがっかりだ。
フエさんは自宅に1人で寝そべりながら、出産前の大事な時期に外にも出られず、自分がみじめに感じられ、悲しく、苛立たしい気持ちになった。不安と怒りの日々を過ごした後、フエさんは予定通りに出産の日を迎えられれば、そのときにはもう隔離期間は終わっている、と自分に言い聞かせた。
そして、もし予定より早く産まれたとしても、落ち着いて「天使」を迎えられると信じている。フエさんは「都市部にいて、医療の心配をする必要はありませんから」と自分自身を励ました。
[VnExpress 05:10 03/02/2021, A]
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