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双子のうちどちらか1人の進学をあきらめるという決断は、家族にとっても苦しいことだった。しかし、工業団地で工員として働く叔父夫婦には、家族がやっと食べていけるだけのわずかな収入しかなかったのだ。
「家族皆で話し合いの場を持ち、兄弟の希望をたずねました。どちらが進学するのか決めるのはとても難しいことでしたが、思いがけずバオが先に『弟を医者にするために自分は進学せず、働いてお金を稼いで弟を養う。もし良いタイミングがあれば、改めて進学する』と言いました。彼の苦しい気持ちがわかり、誰も何も言えませんでした」とトゥアットさんは教えてくれた。
バオさんとロックさんが学校に通い、大学入試に合格するまでの道のりは過酷なものだった。2人が3歳になる前に父親が亡くなり、若い母親が1人で家計を支えた。母親は工員として昼夜を問わず働いたが収入は少なく、双子に十分なミルクを買う余裕もなかった。
3歳のとき、バオさんは父方の祖父母と暮らすため、北部紅河デルタ地方ハイフォン市に連れて行かれた。しかし、祖父母も持ち家がなく、バオさんは祖父母と一緒に不安定な生活を送ることになった。日差しや雨が避けられる場所を求めて、数え切れないほど借家を転々とする生活だった。
一方、ロックさんは母方の祖母に預けられ、母親は工業団地で縫製の仕事をして養育費を稼いだ。
兄弟の両親はかつてクアンナム省ディエンバン町に小さな家を持っていたが、生活があまりにも苦しく、家を売るしかなくなった。そして、兄弟が中学2年生(日本の中学1年生)になった年に、母親も亡くなってしまった。