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タムさんは9年生(中学4年生=日本の中学3年生)のときに父親を亡くし、母親と暮らしていた。
「事故に遭って最初の数か月は本当につらく、悲しくて真実を受け入れられないときもありました。でも、母や生徒たちのことを想い、絶望に押しつぶされることはありませんでした。自分が経験しているこの辛さも、生徒たちに人生の大切さを教えるための学びなんだと考えました」とタムさんは振り返る。
もう1つ、事故に遭って変わったことがある。事故に遭う前、タムさんはスポーツが好きではなかった。でも、義足に慣れるための苦労続きの日々がタムさんを変えた。今ではウォーキングのほか、水泳、フラフープ、縄跳び、バドミントンなどもできるようになった。
スポーツのトレーニングでも、タムさんは生徒のお手本となっている。タムさんから「先生にできてあなたにできないわけがないじゃない」としょっちゅう言われ、多くの生徒が健康のためのトレーニングにより意識を向けるようになった。
1月5日、ホーチミン市マラソン2020が終わると、タムさんは5kmの完走証を手にドンタップ省へ帰るバスに乗り込んだ。タムさんの決してあきらめない精神とエネルギーは、必ずや生徒たちにとって上を目指すための原動力になっていくに違いない。