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チュオン・ビー・ムニエル・ミシェルさんは生まれた時から実母と離ればなれになった。しかし、その後は運命の巡り合わせで2つの家族に恵まれた。
8月初旬のある暑い昼、ホーチミン市から南に車で2時間ほどのメコンデルタ地方ベンチェ省バーチー郡フーガイ村フーロン集落にある墓地を3人の女性が歩く。中肉中背で日に焼けた肌に幸せな笑みを浮かべるベトナム人女性コン・ティ・トゥー・チャンさんは、背中におんぶしている細身の少女に向かって冗談を言う。
「あなた、子ザルみたいに軽いじゃない」。そのすぐ横をブロンドの髪の毛をした欧米人女性アニエス・ムニエル・ミシェルさんがついて歩いている。2人の中年の女性は住むところも話す言葉も違えど、1人の15歳の少女へ深い愛情を注いでいる。
「妊娠6か月の時、お腹にいたビーは先天性水頭症と診断されました。生まれても生き延びられないからと中絶を勧められました」とチャンさん。チャンさん夫妻はすがる思いでホーチミン市ツーズー産婦人科病院を受診した。ただ、そこでも治療法はなく経過観察のなか出産の日を待った。
妊娠7か月と10日目の2003年5月6日夜に陣痛が始まった。母体の安全を考えて帝王切開を勧める医師たちの声をよそに、チャンさんはいきみ続け自然分娩でビーさんを生んだ。それは小さく紫色で、目をじっと閉じたままのビーさんは直ぐに保育器に入れられた。見舞いに来た夫に娘の様子を聞くと、医師たちが頑張ってくれているとのことだった。
退院の日を迎え、チャンさんは初めて愛娘が生き延びられなかったことを知らされ涙した。入院中のチャンさんを置いて愛娘の亡骸を故郷へ連れて帰り葬ることはとてもできないと考えた夫は、病院で火葬する申請書類にサインをしたのだ。チャンさんは同室患者の家族から、書類にサインした後のチャンさんの夫は魂が抜けたようだったと聞いた。
チャンさん夫妻は「娘は私たちとは縁がなかったんだ」と自分たちに言い聞かせて、荷物をまとめると1か月近く留守番をしていた長男が待つ故郷へ帰った。