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それからというもの、キエンさんは狩りの帰りに夜な夜なウオンさんに会いに寄った。キエンさんの足はまるで床に釘打ちされたかのようにウオンさんの家の床から離れず、心臓はドキドキと強く脈打った。その後、キエンさんの愛がウオンさんへ伝わり、2人はめでたく結ばれた。
1952年、早くから革命活動へ参加する意思を持っていたキエンさんは40kmの距離をものともせず、山を下りギアロ村までホー・チ・ミン主席の教えを学びに通った。その頃、ウオンさんのお腹の中には小さな命が宿っていた。ウオンさんは身重ながらも革命のために学ぶ夫を支え仕事に励んだ。
遂に赤ちゃんが生まれようとした冬のある日、ウオンさんの母は留守だった。強さを増す陣痛に助けを呼ぶこともできず、1人家にいたウオンさんはなんと自力で男の子を出産したのだ。
窓から手を伸ばして竹の枝を取り、生まれたばかりの愛息子のへその緒を切った。両親が畑仕事から帰る頃には、赤ちゃんは産湯も済ませて温かい毛布に包まれて眠っていた。
修了証書を手に帰宅したキエンさんは息子の誕生にそれは喜び、夫婦は息子が将来、1人で出産に臨んだウオンさんへの恩を忘れることがないようにと息子にロー・バン・オン(恩)と名付けた。
当時のハット集落には20世帯ほどしかなく、暮らしは苦しいものだった。食事を抜くこともざらだったが、キエンさんはホー・チ・ミン主席の教えを庶民に広めるべく開いた教室の講義で忙しく家族の手助けをする暇はなかった。
長男が歩き出した頃、ウオンさんは再び身ごもった。第2子には女の子が生まれ、一男一女となった。