[特集]
9男9女を育てた肝っ玉母ちゃん、産気づくと1人で山に上りお産
2018/08/12 05:51 JST更新
(C) VTC.VN |
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西北部地方で子沢山の女性と言えば、15人を出産したライチャウ省フォントー郡シンチャイ村のザン・ティ・マイさん、17人を出産したソンラ省トゥアンチャウ郡コーマ村のザン・ティ・ゾンさんが知られている。
しかし、この子沢山記録を超える女性がイエンバイ省チャムタウ郡ハットリウ村ハット集落にいた。女性の名前はロー・ティ・ウオンさん。ウオンさんは9男9女の合計18人の子供を出産し、全員を一人前に育て上げた。
ウオンさんの家はハット川の畔にある。家は笑い声が飛び交い、ひっきりなしに人が出入りする。ウオンさんの夫のロー・バン・キエンさんは80歳近くになるがとても元気だ。
ウオンさん夫婦は孫とひ孫だけでも60人以上、間もなく赤ちゃんも数人誕生する予定で、嫁や婿を含めると100人以上の大家族だ。「家族が揃って食事するとなると、数十kgある豚を絞めてやっと足りるくらいよ」とウオンさん。
80歳近くになるウオンさんは髪の毛を頭頂でお団子にまとめて、タイ族の女性の頭巾を被っている。艶のある肌にふくよかな顔、目も良く見え記憶力も抜群、18人を出産したとは思えないすらりとした体型で足取りも軽やかだ。子供たちが独り立ちした今でも、ウオンさんは山に入っては薬草を摘む。薬草についての豊富な知識が健康の秘訣だそうだ。
タイ族のウオンさんは幼少の頃も両親とハット集落で暮らしていたが、刺繍が上手な美しい娘として知られていた。ウオンさんの家から目と鼻の先に住んでいたキエンさんは、まるで惚れ薬を飲んだかのように夕暮れ時に川で髪を洗うウオンさんの姿に一目惚れした。
それからというもの、キエンさんは狩りの帰りに夜な夜なウオンさんに会いに寄った。キエンさんの足はまるで床に釘打ちされたかのようにウオンさんの家の床から離れず、心臓はドキドキと強く脈打った。その後、キエンさんの愛がウオンさんへ伝わり、2人はめでたく結ばれた。
1952年、早くから革命活動へ参加する意思を持っていたキエンさんは40kmの距離をものともせず、山を下りギアロ村までホー・チ・ミン主席の教えを学びに通った。その頃、ウオンさんのお腹の中には小さな命が宿っていた。ウオンさんは身重ながらも革命のために学ぶ夫を支え仕事に励んだ。
遂に赤ちゃんが生まれようとした冬のある日、ウオンさんの母は留守だった。強さを増す陣痛に助けを呼ぶこともできず、1人家にいたウオンさんはなんと自力で男の子を出産したのだ。
窓から手を伸ばして竹の枝を取り、生まれたばかりの愛息子のへその緒を切った。両親が畑仕事から帰る頃には、赤ちゃんは産湯も済ませて温かい毛布に包まれて眠っていた。
修了証書を手に帰宅したキエンさんは息子の誕生にそれは喜び、夫婦は息子が将来、1人で出産に臨んだウオンさんへの恩を忘れることがないようにと息子にロー・バン・オン(恩)と名付けた。
当時のハット集落には20世帯ほどしかなく、暮らしは苦しいものだった。食事を抜くこともざらだったが、キエンさんはホー・チ・ミン主席の教えを庶民に広めるべく開いた教室の講義で忙しく家族の手助けをする暇はなかった。
長男が歩き出した頃、ウオンさんは再び身ごもった。第2子には女の子が生まれ、一男一女となった。
幼いころから貧しい暮らしをしていたウオンさんは5、6歳になると姉弟の面倒を見て、山登りができるようになると両親と畑仕事に出るようになった。当時の山岳地域では、女性は一定の年齢になると嫁に行き労働力として子供を産むことが慣例だった。
学校もなかったため、ウオンさんは読み書きを知らない。そんなウオンさんだが、自身でも考えが及ばないほど子供を産むことについては長けていた。
子供が2人になって生活は苦しさを増し、ウオンさんは産後1か月も経たないうちに畑仕事に出て、キエンさんは相変わらず革命活動に忙しくウオンさんを手伝う間はなかった。毎日空腹でくたくたになるまで働きづめのウオンさんだったが、不思議なことに第3子、第4子…第8子と1年半毎に子供を授かった。
ウオンさんは8人の子供を女手一つで育て、キエンさんは革命活動を続け、読み書きができたことから村の幹部に選ばれた。ウオンさんはその後も「減速」することなく子供を授かり続け、30年の間に9男9女を出産した。
子沢山の秘訣は義母仕込みの薬草の調合だという。キエンさんの母は調薬に優れていて山の薬草やキノコなどをとてもよく知っていた。キエンさんに嫁いだウオンさんは義母から不妊や妊婦に効く薬の調合を受け継いだ。
「あらゆる薬を飲んできたお陰でこんなに子宝に恵まれたのかもしれません」とウオンさん。ウオンさんは産気づくと山に入り薬草を摘み、お産の後は自ら赤ちゃんのへその緒を切ってきた。18人の子供全員をウオンさん1人で出産するという偉業を成し遂げてきた。
18人の子供を養うことは並大抵のことではない。生活が一番苦しい時には年長の子供たちに山へ筍や芋を採りに行かせて飢えをしのいだ。また1人では大勢の子供を管理しきれないため、学校のクラス分けのように年長者を中心に子供たちをグループに分けて互いに面倒を見させた。
方々で遊び回っている子供たちを家に戻らせるのも一苦労。食事ができると、ウオンさんは竹筒を叩いて慣らし子供たちに知らせた。それでも戻らない子供がいると手を口に当て大声で呼び掛けたという。
キエンさんは村の幹部となったとはいえ給与はすずめの涙ほどで、生活は依然として苦しかった。ウオンさんは日が昇る前から日が沈むまで、乳飲み子をおんぶして畑仕事に励んだ。
18人の子供はみんな無事に成長し、9人の娘たちは遠方に嫁いだ。9人の息子たちは集落に残り、中には村の幹部になった者もいる。今となっては賑やかな大家族で喜ばしいことも多いが、女手一つで18人の子供を育てるにはあまりにも苦労が多かった。その日の食事にも困る生活だったため、子供たちのために広い家を立てるようなこともできなかった。
そんなウオンさんは家族が集まると、ことあるごとに「子供は数人にしておきなさい。父さんと母さんみたいに子供が多いと苦労するからね」と子供たちに言い聞かせている。子供たちには苦労のない良い暮らしをして欲しいと願うウオンさんだが、暮らしを楽にするのに一番大事なことは子作りの「減速」がウオンさんの持論だ。
[SONG THU, vtc.cn, 09/07/2018 06:30 AM GMT+7, T]
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