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数十年前から、ハノイ市の人々はよく青いガラス製の500mlのグラスでビールを飲む。ドイモイ(刷新)前、1976年から1986年ごろのベトナムは配給時代。ハノイ市の人々は、毎日午後になると配給のビールを扱う店の前に長蛇の列を作っていた。
ビールの配給は国営の店に独占権があったため、市民劇場(オペラハウス)近くのコータン(Co Tan)通りやグエンディンチエウ(Nguyen Dinh Chieu)通り、ハンバイ(Hang Bai)通りなどの店はいつもごった返していた。
しかし、割り込まれないようにしながら長時間並んで店の入り口にたどり着いても、ビールよりも冷たい顔の店の人の「売り切れ」の一言で終わることもあるため、気が抜けなかったという。
ビールは青いガラス製のグラスにちょうど500ml注がれた。ビールが注がれると、小さな泡がグラスの底から浮かび上がり、表面の白い泡と合わさって消えていく。グラスは重く、互いにぶつかり合うたびにかちゃかちゃと音を立てる。
「ビールはただの飲み物ではなく、配給生活の不足を補い、様々なストレスを発散するものでした」と、画家のレ・フイ・バンさんは振り返る。当時、彼のような幹部の給料は64VNDだったため、月に数回グラス1杯のビールを飲み、家に帰って妻と一緒にご飯と茹でた空芯菜を食べるのだった。
当時、ハノイ市のビール醸造所はホアンホアタム(Hoang Hoa Tham)通りの1か所しかなく、スチールのバレルに詰めて国営の配給の店へ運ばれていた。ビールは贅沢品だったが、ビール専用のグラスもなく、ハノイ市の人々はお茶やジュースを飲む小さなグラスを使って飲んでいた。ソ連のものに似たガラス製のグラスもあったが、高価だったため手に入れることができなかった。