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[特集]

配給時代の「ビアホイグラス」、40年間の歴史

2017/09/24 04:58 JST更新

(C) vnexpress
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 数十年前から、ハノイ市の人々はよく青いガラス製の500mlのグラスでビールを飲む。ドイモイ(刷新)前、1976年から1986年ごろのベトナムは配給時代。ハノイ市の人々は、毎日午後になると配給のビールを扱う店の前に長蛇の列を作っていた。

 ビールの配給は国営の店に独占権があったため、市民劇場(オペラハウス)近くのコータン(Co Tan)通りやグエンディンチエウ(Nguyen Dinh Chieu)通り、ハンバイ(Hang Bai)通りなどの店はいつもごった返していた。

 しかし、割り込まれないようにしながら長時間並んで店の入り口にたどり着いても、ビールよりも冷たい顔の店の人の「売り切れ」の一言で終わることもあるため、気が抜けなかったという。

 ビールは青いガラス製のグラスにちょうど500ml注がれた。ビールが注がれると、小さな泡がグラスの底から浮かび上がり、表面の白い泡と合わさって消えていく。グラスは重く、互いにぶつかり合うたびにかちゃかちゃと音を立てる。

 「ビールはただの飲み物ではなく、配給生活の不足を補い、様々なストレスを発散するものでした」と、画家のレ・フイ・バンさんは振り返る。当時、彼のような幹部の給料は64VNDだったため、月に数回グラス1杯のビールを飲み、家に帰って妻と一緒にご飯と茹でた空芯菜を食べるのだった。

 当時、ハノイ市のビール醸造所はホアンホアタム(Hoang Hoa Tham)通りの1か所しかなく、スチールのバレルに詰めて国営の配給の店へ運ばれていた。ビールは贅沢品だったが、ビール専用のグラスもなく、ハノイ市の人々はお茶やジュースを飲む小さなグラスを使って飲んでいた。ソ連のものに似たガラス製のグラスもあったが、高価だったため手に入れることができなかった。

 ある日、バンさんは「ハノイビール」専用のグラスのデザインを命じられた。1時間でデザインを描き、3日後には実物ができあがった。初めての「ビアホイグラス」は1976年に生まれた。廃棄物の青いガラス製で、縁が広がり、底が厚く、凹凸があって握りやすく重ねやすいものだった。1個500VNDで、唯一内商省がこのグラスを購入し、配給の店に流通することができた。

 40年余りの間、バンさんは翻訳やデザイン、教員など様々な仕事に就き、後にハノイ工業芸術大学の副学長になった。そしてバンさんがデザインしたビアホイグラスも配給の店からハノイ市のローカル酒場へと広まっていき、数々の伝統的な製品が消え行く中でも今なおハノイ市民に親しまれている。

 ビアホイグラスはいくつものガラス工場で同時に生産されるため、サイズはまちまちだ。また、当初のビアホイグラスはちょうど500mlだったが、時間の経過とともに小さくなり、今はかつての3分の2ほどのサイズになっている。

 ビアホイグラスの価格は当初500VND、後に2000VNDに値上がりし、現在は6500VNDとなっている。今、グラスは紅河デルタ地方ナムディン省ナムチュック郡ナムタイン村の「ガラス村」として知られるソイチー村の各世帯で1日あたり約1500個が生産されている。

 バンさんは、「ハノイ市民がビールを飲むのは、ビールが好きだからではなく、仕事の後の暑い午後に友人とあれやこれやとしゃべりながら路上に座っている空気が癖になるから」だと語る。

 現在の人々は、取っ手がついた透明なガラス製のグラスやガラスそっくりのプラスチック製グラスでビールを飲んでいる。しかし、青いガラス製のビアホイグラスも多くのローカル酒屋でまだ使われている。ビアホイグラスは、苦しかった時代の人々の記憶の一部として刻まれているのだ。 

[Hoang Phuong, VnExpress, 27/8/2017 | 00:00 GMT+7, A]
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