(C) vnexpress, Manh Tung 写真の拡大 |
(C) vnexpress, Manh Tung 写真の拡大 |
ミンさんは自分の体に刻み込まれた傷跡1つ1つからそれぞれの事件を思い出すことができるという。「何人かと一緒に5~6人のひったくり犯を捕まえた時、奴らに激しく蹴飛ばされ、脚に致命的な怪我を負いました」。ミンさんは話しながら、足首にある傷跡を指差した。
ミンさんは文字の読み書きができず、父親や先祖の故郷がどこかも知らない。唯一覚えているのは、過酷を極めた戦争の間に家族と離れ離れになり放浪していたところ、養ってくれる優しい人に出会えたことだ。しかし、10歳の時に育ての母に叩かれたことを境に家を出てからは、転々としながら生活を続けている。
30歳のときにミンさんはホーチミン市9区に辿り着き、スクラップ収集の仕事から雇われの仕事まで様々な仕事をして生計を立てていた。その10年後に大学周辺でバイクタクシーの仕事を始めて現在に至る。
家はなく、部屋を借りるお金もないため、ミンさんは木の枝にハンモックを吊るして寝ている。天候が悪い時はさらにビニールシートを張り、雨風を防ぐ。毎日バイクタクシーとパンク修理の仕事をして、食事の他にコーヒーと薬を買うのに十分な3~4万VND(約150~200円)を稼いでいる。
ミンさんはこう語る。「貧しい学生がいれば、私は無料でパンク修理をします。学生たちは子供のような年齢なので、私は学生たちをとても可愛がっています。助けられることがあれば助けてあげたいのです」。