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このような座席の作りのため、多くの男女がセラムに乗車したことで偶然に知り合い、恋が始まることもあった。音楽家のビン・スー(Vinh Su)は「午後のセラム(Chuyen xe lam chieu)」という曲の中で次のような歌詞を書いている。
“午後のセラムは混んでいる。互いに知らない人たちが隣同士に座っている。天はなぜこんなにも愚弄するのか。まだ知り合っていない人と、なぜ恋人のように寄り添って座るのか。彼女はセラムを降り、路地を奥に入って行く。彼は心落ち着かず、急いで路地に向かう”。
1960年代当時、セラム1台の価格はおよそ金30テール(1125g)分だった。長年セラムの運転手を務めていたホーチミン市4区在住のラム・クアン・タインさんによると、セラムは価格が高いため、誰でも購入できるものではなかったが、もし手に入れることができればかなりの利益を上げることができたという。
「当時人々は、1日セラムを走らせれば1か月休むことができる、と言っていました。それは言い過ぎですが、それでももしセラムを購入することができて、乗客を乗せて走れば、一家を養うことは可能でした」とタインさんは教えてくれた。
当時、セラムの運行ルートは現在の路線バスと同じくサイゴン中に張り巡らされていたが、現在のバスと異なるのは乗客が乗り降りする停留所が定められていなかったことだ。乗りたい時は路上で手を振って合図し、降りる時はどこでも降ろしてもらうことができた。