(C)VnExpress、レ・タン・トン像 |
黎(レ)朝(1428~1527年、1532~1789年)の第17代皇帝レ・タン・トン(Le Than Thon=黎神宗、在位:1619~1643年、1649~1662年、実名はレ・ズイ・キー)は、ベトナムの歴史上で最も多くの「記録」を持つ皇帝だが、そのことはあまり知られていない。
レ・タン・トンは、第16代皇帝レ・キン・トン(Le Kinh Tong=黎敬宗)と皇后チン・ティ・ゴック・チン(Trinh Thi Ngoc Trinh=鄭氏玉てい(木へんに貞))の長男として生まれた。この時代は黎氏が帝位を継いでいるものの、実権は鄭氏に握られていた。
1609年、レ・キン・トンは権臣チン・トゥン(Trinh Tung=鄭松)を殺害しようと試みたが失敗し、逆に自死に追い込まれた。そのため長男のズイ・キーが12歳で、皇帝レ・タン・トンになった。頭脳明晰で知略に富み、文才に恵まれた人物と評されている。
レ・タン・トンは1643年に、13歳の息子ズイ・フーに帝位を譲り、自分は上皇となった。しかし皇帝レ・チャン・トン(Le Chan Tong=黎真宗)(ズイ・フー)が、1649年に在位7年で病気により死去したため、上皇ズイ・キーが再び皇帝レ・タン・トンに返り咲いた。