[特集]
レ朝の第17代皇帝レ・タン・トン、知られざる多くの「記録」
2016/02/14 07:09 JST更新
(C)VnExpress、レ・タン・トン像 |
黎(レ)朝(1428~1527年、1532~1789年)の第17代皇帝レ・タン・トン(Le Than Thon=黎神宗、在位:1619~1643年、1649~1662年、実名はレ・ズイ・キー)は、ベトナムの歴史上で最も多くの「記録」を持つ皇帝だが、そのことはあまり知られていない。
レ・タン・トンは、第16代皇帝レ・キン・トン(Le Kinh Tong=黎敬宗)と皇后チン・ティ・ゴック・チン(Trinh Thi Ngoc Trinh=鄭氏玉てい(木へんに貞))の長男として生まれた。この時代は黎氏が帝位を継いでいるものの、実権は鄭氏に握られていた。
1609年、レ・キン・トンは権臣チン・トゥン(Trinh Tung=鄭松)を殺害しようと試みたが失敗し、逆に自死に追い込まれた。そのため長男のズイ・キーが12歳で、皇帝レ・タン・トンになった。頭脳明晰で知略に富み、文才に恵まれた人物と評されている。
レ・タン・トンは1643年に、13歳の息子ズイ・フーに帝位を譲り、自分は上皇となった。しかし皇帝レ・チャン・トン(Le Chan Tong=黎真宗)(ズイ・フー)が、1649年に在位7年で病気により死去したため、上皇ズイ・キーが再び皇帝レ・タン・トンに返り咲いた。
レ・タン・トンが1662年に死去すると、息子のズイ・ブーが後を継ぎ、皇帝レ・フエン・トン(Le Huyen Tong=黎玄宗、在位:1663~1671年)となったが、レ・フエン・トンも若くして病死。レ・タン・トンの別の息子のスイ・ホイが、皇帝レ・ザー・トン(Le Gia Tong=黎嘉宗、在位1672~1675年)になるが、またも病死。レ・タン・トンの末子のズイ・ホップが、後を継ぎ皇帝レ・ヒー・トン(Le Hy Tong=黎熙宗、在位:1675~1705年)となった。
歴史研究者によると、ベトナムの15ある王朝の皇帝108人のうち、皇帝の座に2度就いたのはレ・タン・トンのみで、息子4人が皇帝になったのも彼だけだという。記録はこれだけに留まらない。彼はベトナム皇帝として初めて西欧の女性と結婚したほか、多くの少数民族の女性を妻にしたという。
レ・タン・トンは1630年に、実権を握る鄭氏のチン・チャン王の娘で12歳年上のチン・ティ・ゴック・チュックと政略結婚させられた。レ・タン・トンはこの後、4人の少数民族の妻を持ち、さらにオランダ人女性オロナを妻にした。6人の妻らは仲良く暮らしたと伝えられている。
6人は永遠に共に居ることができるよう願いを込めて、北中部地方タインホア省にマットソン寺を建立。6人の入魂された像が同寺に安置された。その後、皇后ゴック・チュックの像はベトナム美術博物館に、残る5人の像はマットソン寺近くにある黎氏の廟堂に移された。
[VnExpress,31/1/2016 | 00:00 GMT+7,O]
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