(C) Phap luat & Xa Hoi, ファム・ミン・トゥアンさん 写真の拡大 |
右も左も分からぬまま故郷で起業し、「新参者」扱いされても、がむしゃらに働くトゥアンさんだったが、妻ズンさんによると、当時の彼は心労でかなり痩せていたという。「病気になってしまったら、家族皆が苦しむのだから、うまくいかなかったらやめればいい、と言ったのですが、彼は一度決めたら梃子でも動きません。いつもハラハラしながら見ていました」とズンさんは言う。
農村の人々の暮らしは極めて貧しく、ゴミ収集の僅かな金さえ惜しい生活。住民の半数は同意してくれない。しかし、トゥアンさんの働きかけで、村の人たちは次第にゴミを処理すれば村が綺麗になっていくことを理解し、ゴミ収集を頼むようになっていった。すると、会社の利益も出始め、ようやく事業が軌道に乗った。
村人のグエン・ティ・ホンさんは嬉しそうにこう言う。「以前は村の道がゴミで溢れかえっていて、悪臭で家から出る気がしないほどだったけど、彼の会社のお陰で見違えるように綺麗になって、皆喜んでるよ」。
更に、ゴミ処理会社の設立は、村に雇用ももたらした。1960年生まれの社員ファン・バン・ドゥックさんはこう教えてくれた。「家は稲や芋を育ててますが、作物が育たない時期もあり、年に4~5か月は心底苦しくて、子どもたちを学校にやる金もなかった。でも、この会社ができてから定期収入を得られるようになって、生活が安定して助かっています」。
別れ間際、トゥアンさんは改まって、私たちにこう言った。「現在ゴミ収集は周辺の5つの村で実施されていますが、更に他の村にも広げようとしています。収集区域拡大にあたり、私たちはクインリウ県内にゴミ処理場を建設する計画です。そのゴミ処理場でバイオ肥料を生産し、周辺農家に安く販売するんですよ」。彼の事業は、村を美しくするだけでなく、村人の生活向上に大いに役立っていくことだろう。