[特集]
人生を賭けた「ゴミ拾い」、美しい村と人々の生活のため
2014/03/16 08:51 JST更新
(C) Phap luat & Xa Hoi, ファム・ミン・トゥアンさん |
(C) Phap luat & Xa Hoi, クオンフオン村のごみ収集風景 |
ハノイ市で生まれ、一流大学を卒業した後、教員となり安定した暮らしをしていたのに、突然全てを捨てて妻の故郷である北中部ゲアン省に移り住み、ゴミ処理会社を立ち上げた人がいる。周囲の人たちから親しみを込めて「ゴミ王」と呼ばれている、ファム・ミン・トゥアンさんだ。
中部の初夏、日差しが耐えがたくなりつつある頃、省都ビン市から100キロほど離れた海沿いにあるクインリウ県クインフオン村を訪れた。村の入口でトゥアンさんのことを村人に尋ねたところ、「ハノイで成功してたのにわざわざ田舎に来て、『ゴミ拾い』をしているトゥアンのことを知らない者はいないよ」と、海の近くにある彼の家を教えてくれた。早速家を訪ねると、北部の人らしく穏やかで親しみやすい雰囲気のトゥアンさんは、茶を淹れてもてなしてくれた。
1977年生まれのトゥアンさんは3人兄弟の長男。成績は優秀で、毎年「優秀生徒」に選ばれ、学校や県から何度も表彰されている。1998年にハノイ市工科大学に高得点で合格し、入学時から奨学金を得ることが出来た。勉強ができるだけでなく、穏やかな話し方と整った容姿、そして明るい性格で、誰からも好かれ、友人は多かった。その中にたまたま、クインフオン村出身の友人がいた。
ある夏のこと、トゥオンは友人の帰省に付き合ってクオンフオン村を訪れた。その時一緒に遊んだ仲間の一人が、小鳥のような瞳と小麦色の肌をした女子大生のグエン・トゥイ・ズンさんだった。恋に落ちた二人は4年間愛を育んだ後、晴れて結婚。トゥアンさんは、教員の仕事も順調で、かわいい3人の子宝にも恵まれた。ハノイ市に家を構えたトゥアンさん一家は、季節ごとに妻の故郷に帰省するのが慣わしだった。
2009年の夏、いつものように帰省した時のこと、彼は村の道端や橋、市場など、いたるところにゴミが落ちているのを見て暗澹たる気持ちになった。特に浜辺にはさまざまなゴミが捨てられ、景観を悪くしているだけでなく、環境汚染を引き起こしていた。ベトナムの多くの農村部がそうであるように、この村でもゴミ収集がいまだに行われておらず、放置され山となったゴミが悪臭を放っていた。ゴミをなくして美しい景色を取り戻せないものかと考えた彼は、ゴミ処理について調べていくうち、ついには教師をやめ、田舎でゴミ収集会社を立ち上げる決心をする。
「この考えを両親に伝えた時、教師の仕事は安定しているのに全てを捨てて、田舎でうす汚い商売を始めるなんて、と猛反対されました。妻にも泣かれましたよ」とトゥアンさんは当時を振り返る。だが彼は、「熱中してやり遂げようと頑張れば、どこにいても、何をしようと、必ず成功する。これは、美しい故郷を取り戻すための尊い事業なんだ」と、1か月以上かけて周囲を説得し、やっと理解してもらえたという。
2010年にトゥアンさんは教師をやめ、妻子を連れて村に戻り行動を開始する。彼はまず、ゴミ問題を解決するための計画書をクインフオン村の役所に提出した。村の人民委員会は彼の提案を好意的に受け入れ、多くの賛同を得て彼の会社は誕生した。この会社は5人のメンバーが資金や技術を出し合って運営している。
起業したばかりの頃は、困難ばかりだった。「収益があまり大きくなかったことが一番の問題でした。住民の環境保護意識は低く、事業を拡張しようと新しい区域のゴミを収集しようとしても取り合ってくれない。収集料金は1区域当たり月2万ドン(約98円)でしたが、それでも高いと言われるんですよ」。集めたゴミは30キロも離れた県のゴミ処理場に運搬する。ゴミ収集人への給料と運搬費を支払えば、あとは何も残らない。事業を広げるために、銀行から約3億ドン(約147万円)も借金しなければならなかった。
右も左も分からぬまま故郷で起業し、「新参者」扱いされても、がむしゃらに働くトゥアンさんだったが、妻ズンさんによると、当時の彼は心労でかなり痩せていたという。「病気になってしまったら、家族皆が苦しむのだから、うまくいかなかったらやめればいい、と言ったのですが、彼は一度決めたら梃子でも動きません。いつもハラハラしながら見ていました」とズンさんは言う。
農村の人々の暮らしは極めて貧しく、ゴミ収集の僅かな金さえ惜しい生活。住民の半数は同意してくれない。しかし、トゥアンさんの働きかけで、村の人たちは次第にゴミを処理すれば村が綺麗になっていくことを理解し、ゴミ収集を頼むようになっていった。すると、会社の利益も出始め、ようやく事業が軌道に乗った。
村人のグエン・ティ・ホンさんは嬉しそうにこう言う。「以前は村の道がゴミで溢れかえっていて、悪臭で家から出る気がしないほどだったけど、彼の会社のお陰で見違えるように綺麗になって、皆喜んでるよ」。
更に、ゴミ処理会社の設立は、村に雇用ももたらした。1960年生まれの社員ファン・バン・ドゥックさんはこう教えてくれた。「家は稲や芋を育ててますが、作物が育たない時期もあり、年に4~5か月は心底苦しくて、子どもたちを学校にやる金もなかった。でも、この会社ができてから定期収入を得られるようになって、生活が安定して助かっています」。
別れ間際、トゥアンさんは改まって、私たちにこう言った。「現在ゴミ収集は周辺の5つの村で実施されていますが、更に他の村にも広げようとしています。収集区域拡大にあたり、私たちはクインリウ県内にゴミ処理場を建設する計画です。そのゴミ処理場でバイオ肥料を生産し、周辺農家に安く販売するんですよ」。彼の事業は、村を美しくするだけでなく、村人の生活向上に大いに役立っていくことだろう。
[Phap luat & Xa Hoi, 2/3/2013 09:00 S]
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