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1977年からずっと修理をしてきた65歳のビンさんは、8月でこの仕事をやめた。「目も衰えてきたし、手も震える。ネジをしめたり小さな部品を取り付けるのが難しくなってきたんだ。稼ぎも少ないし、やるのは電池交換か針の交換だけ。馴染みの客も少なくなった」。彼の月収は300~400万ドン(約1万4000~1万8700円)に落ち込んだ。
20年以上前の黄金時代には、4年働けば立派な店を構えることができたという。これまで子供たち支援してくれて、なんとか仕事を続けてきた。「この商売は今や時代遅れなんだろうけど、私にとっては天職だったよ」。
以前工場で働いていた30歳の女性チャンさんは、同郷の友人から時計修理技術を学び、ワーカーをやめてこの道に進んだ。月収は400万ドン(約1万8700円)ぐらいで、屋台式修理屋の諸経費は月250万ドン(約1万1700円)ほどかかるという。
「女性だからということで近所の人達が助けてくれて、電池交換や時計のクリーニングに来てくれるので、なんとか続けられています」。この仕事は我慢強さや繊細さが必要で、女性に向いていると彼女は言う。だが、4年前に比べると、収入は3割以上減った。
彼女は今、5年間修理屋を出してきたこの場所から移転を余儀なくされている。この場所に携帯電話ショップがオープンすることになったからだ。「この仕事は知り合い頼みだから、馴染み客を失うのが心配」と彼女は不安げに言った。