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かつては月に金の延べ板1枚ほども稼いだこともあったという時計修理工のファットさん、今はその黄金時代も過ぎ去り、食べていくのがやっとの生活だ。
雨の日も晴れの日も、57歳のファットさんは通りの角にあるいつもの場所に座って客が修理を頼みに来るのを待つ。依頼の殆どが電池交換か油差しだ。油差しの料金は、電池式時計で5万ドン(約234円)、手巻き時計で10万ドン(約470円)。月収は600万ドン足らずで、その中から場所代として月50万ドン(約2340円)払わねばならない。
土地の所有者の都合で、ここ2年のうちに3回も場所を変えたという。「幸い前の場所とは2キロぐらいしか離れてない。もし遠い場所だったら、一から馴染み客を作らなきゃならないから大変だよ」と、この道30年の彼は言う。この商売は客同士の紹介で成り立っており、偶然立ち寄る客は稀で、新規客の開拓は難しいそうだ。
2年前と比べると収入は2割以上減ったという。市場には見た目の良い中国製の時計が溢れ、数万から数十万ドンと安い。わざわざ時計の修理を頼む人は減り、修理屋をやめる者も多い。
今から10年前、ファットさんが月に金1枚ほど稼いでいた頃は、修理だけでなく中古時計の売買もしていた。当時腕時計は学生も社会人も皆持っていたが、携帯電話の普及で腕時計は必需品ではなくなってしまった。