スイスでは、平静でロマンチックな自然を目にして、なぜそこでジュネーブ協定が締結されたのか、またなぜ人生を捨てたかった亡命者たちがそこで生まれ変わりたいと感じたのかを理解した。
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そして、ジョージアに着いた時、フンさんの感情は崩壊した。ジョージアは、フンさんが1973年から1976年まで学んだ地だ。かつての思い出の針葉樹は、もはら古い木になってしまっていた。
「学校の門の前にバイクを停めて、上着を脱ぎ、芝生に向かって駆け出して寝転びました。森に入り、かつてよく食べていた桑の実の枝を抱きしめました」。フンさんは声を失い、目を輝かせた。「若い頃、友人と外へ出て夕日や雪解けを眺め、道行く女子学生を眺めていました。生き生きとしたイメージと寮の独特な匂いが一気に押し寄せ、息が苦しくなりました」。
ジョージアを離れ、ヨーロッパを進み、ベトナムへ帰国する前にロシアと中国に戻った。帰り道の1万km余りは氷点下で、本当に「挑戦」だった。
12月19日夜、バイクは4万5000kmの旅を終えて自宅の前に停まった。この時、フンさんは初めて自分が成功したのだと確信した。自宅に入ると、半年離れ離れだったホンダ67に近付き、触れた。「帰ってきたよ。お前の弟子(共に旅した新しいバイク)は任務を完了した」。
帰宅時の手土産は、泥だらけのバイク、切れたチェーン、そしていくつかの巻貝と思い出の古い木の下で拾った松の実だ。今、それはガラスケースに入れられ、毎日フンさんが通るたびに目につくところに置かれている。