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カムさんは話すことも聞くこともできず、戦争による混乱もあり、周りの人々はカムさんの故郷も親戚も見つけることができなかった。そこで、カムさんはタムキー市の施設に入ることになった。
誰が何を言っていても聞くことができないカムさんは、ただ笑うことしかできなかった。以来、「話せない」ことを意味する「カム(Cam)」という単語を入れて「グエン・バン・カム」と呼ばれるようになり、ずっとこの氏名で生きてきた。
そして、ガーさんとカムさんはタムキー市の施設で出会った。ろう者のカムさんと両脚のないガーさんは、互いの不足を補い合い、互いに助け合って生きる兄妹のような存在となった。
ガーさんがどこかに行くときはいつもタムさんが彼女の車椅子を押した。1994年頃までに施設は解散し、クアンナム省ホイアン市の社会センターに統合されることになった。しかし、ガーさんはタムキー市に残ることを希望し、土地を購入して小さな家を建てた。
「彼がいたたまれなくて、それに彼には親戚もいなかったので、一緒に暮らしてお互いに面倒を見られるようにしたんです」とガーさんは当時を振り返る。
ガーさんによると、以前はカムさんと同じように施設で出会った男性がもう1人いて、ガーさんから誘って一緒に暮らしていたが、その男性は病気で亡くなってしまったのだという。20年が経った今でも、ガーさんは家にその男性の祭壇を置き、線香を手向けている。こうして、今はガーさんとカムさんの2人だけで生活している。
「実のところ、施設にいた彼は性格も穏やかだし、家族や身寄りもなかったし、社会センターで暮らすのも良かったでしょう。でも私は、一緒に暮らして、お互いを兄妹のように思い、1日中そばにいてほしいと頼んだんです」とガーさん。