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[特集]

ろう者の男性と両脚を失った女性、他人同士の2人が共に生きるわけ

2024/07/07 10:16 JST更新

(C) tuoitre
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 南中部沿岸地方クアンナム省タムキー市タンタイン街区にある小さな家で、共に身体にハンデを抱えながら、30年間にわたり静かに支え合って生きてきた男女がいる。初めて会った人には夫婦か兄妹と思われるが、実際はどちらでもない。

 チャン・ティ・ガーさん(女性・67歳)は若い頃に両脚を失い、グエン・バン・カムさん(男性・70歳代)は幼い頃からろう者だった。血のつながりもなく夫婦でもない2人だが、この30年間、互いに慈しみ面倒を見合い、支え合ってきた。

 2人は、資源回収(ベーチャイ=ve chai)で生計を立てながら、人生の最期まで互いに助け合って生きていくことを願っている。

 「初めて会う人は皆、私たちのことを夫婦か兄妹かと思うようですが、実際のところ私と彼はただの他人同士です。悲劇に満ちた人生が私たちを結び付け、今までお互いを支え合いながら生きてきました」と、ガーさんは笑いながら話す。あまりにも過酷な人生を送ってきた2人は、過去のことは思い出したくもないという。

 ガーさんの故郷はクアンナム省の隣の南中部沿岸地方ダナン市だ。戦争が終わると、18歳の時に故郷を出て、クアンナム省ティエンフオック郡で道路や橋の建設現場の作業員として働いた。

 ある日、作業員たちの食事を作ろうと薪を拾いに森に入ったガーさんは、戦時中の地雷に当たって重傷を負った。病院で手術を受けたが、ガーさんの両脚と青春はもろくも失われてしまった。

 その後、クアンナム省タムキー市の施設に入り、車椅子で生涯を過ごすこととなった。両脚を失い、1か所に座っていることしかできないなど、誰にとっても人生で何よりも苦しい時間だろう。

 一方、悲しい過去があるなど微塵も感じさせないような、優しい顔立ちをしたカムさんは、生まれた時からろう者だった。戦争という苦しみから今も抜け出せないでいる。カムさんは戦時中に爆弾を受けて重傷を負い、ダナン市の病院に救急搬送された。

 カムさんは話すことも聞くこともできず、戦争による混乱もあり、周りの人々はカムさんの故郷も親戚も見つけることができなかった。そこで、カムさんはタムキー市の施設に入ることになった。

 誰が何を言っていても聞くことができないカムさんは、ただ笑うことしかできなかった。以来、「話せない」ことを意味する「カム(Cam)」という単語を入れて「グエン・バン・カム」と呼ばれるようになり、ずっとこの氏名で生きてきた。

 そして、ガーさんとカムさんはタムキー市の施設で出会った。ろう者のカムさんと両脚のないガーさんは、互いの不足を補い合い、互いに助け合って生きる兄妹のような存在となった。

 ガーさんがどこかに行くときはいつもタムさんが彼女の車椅子を押した。1994年頃までに施設は解散し、クアンナム省ホイアン市の社会センターに統合されることになった。しかし、ガーさんはタムキー市に残ることを希望し、土地を購入して小さな家を建てた。

 「彼がいたたまれなくて、それに彼には親戚もいなかったので、一緒に暮らしてお互いに面倒を見られるようにしたんです」とガーさんは当時を振り返る。

 ガーさんによると、以前はカムさんと同じように施設で出会った男性がもう1人いて、ガーさんから誘って一緒に暮らしていたが、その男性は病気で亡くなってしまったのだという。20年が経った今でも、ガーさんは家にその男性の祭壇を置き、線香を手向けている。こうして、今はガーさんとカムさんの2人だけで生活している。

 「実のところ、施設にいた彼は性格も穏やかだし、家族や身寄りもなかったし、社会センターで暮らすのも良かったでしょう。でも私は、一緒に暮らして、お互いを兄妹のように思い、1日中そばにいてほしいと頼んだんです」とガーさん。

 2人は資源回収で得る利益と、ガーさんが毎月受け取る労災手当で日々の生活を賄っている。この何十年もの間、カムさんはガーさんの脚となって、ガーさんの車椅子を押して仕事に出かけ、日常生活の手助けをする。一方のガーさんは、指文字や読唇を使って、カムさんが他の人と会話する時に通訳している。

 「カムさんは、今までに故郷や親戚を探したいと思ったことはあるか?」という問いに対し、カムさんに代わってガーさんが答えるが、回答はあいまいだ。なぜなら、ろう者で非識字者でもあるカムさんにとって、故郷というのは時に、言葉にならないノスタルジーであり、幻想のようなものでしかないからだ。

 おそらく、カムさんの意識としては、ガーさんが唯一の身内のような存在となっているのだろう。そしてカムさんの心の故郷は、雨の日も晴れの日も長きにわたり自分に代わって通訳し、幸せな時には愛情深く自分を見つめ、困難な時には自分を助けてくれるガーさんの声そのものなのだ。

 背中が曲がり、口元にいつも穏やかな微笑みを浮かべているカムさんは、実の兄妹のようなガーさんとの生活に心から満足しているようだ。

 時が経ち、2人は高齢になったが、ガーさんとカムさんの物語は、現実と思考に長年刷り込まれてきた「女性」だ「男性」だという固定観念、そして本能論や「(男女間の)無条件」といった概念すらも打ち破った。彼らは夫婦でもなく、完全な他人でもなく、まるで実の兄妹のような関係なのだ。

 若かりし頃から現在まで30年以上を一緒に過ごし、2人はすっかり白髪混じりの髪になった。「そんなこと気にしません。それが人生ですから。理由なんてなくても、お互いを頼りにして面倒を見合って、どこに行くにも一緒、それでいいんです」とガーさんは語る。

 2人の物語は、人生とは奇妙であり、奇跡なのだということを教えてくれる。彼らを見ると、神様は公平で、誰のことも1人きりにはしないのだとわかる。現代の言葉で言うならば「理解し、愛する」という、至極シンプルなことなのだ。 

[Tuoi Tre 10:20 30/05/2024, A]
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