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ディエンビエンフー作戦の数か月前、タインさんの部隊が戦場に加わることになった。「私の部隊は1953年から1954年にかけての期間に参戦しました。最初は歩兵でしたが、後に砲兵となりました。戦場で、部隊はホンクム基地で敵を阻止する任務を割り当てられました。敵に見つからないように、穴を掘ったり、土や砂の層の下に紛れて隠れたりする技術を学ばなければなりませんでした」とタインさんは回想する。
一方、体重わずか37kgで小柄だったランさんが民工団に志願したとき、多くの人が不安を感じていた。ディエンビエンに向かう途中のランさんの任務は、米を運び、道を作り、爆弾が落ちてできた穴を埋めて平らにすることだった。さらにランさんは、看護の訓練を受けた経験を買われ、道中でけが人の手当てをする任務を追加で割り当てられた。
ある日のこと、後方で民工から米を受け取っていたタインさんは突然、同郷なまりの声を聞いた。タインさんはその人に近付いて、「ゲアン省のなまりのようですね?」と声をかけた。
タインさんに話しかけられたランさんは、米を運びながらいたずらっぽく笑い、「ええ、そうですよ。私はゲアン省の出身です」と答えた。
戦場での任務は差し迫ったものだったため、そのときの会話はあっという間に終わってしまい、名前や住所を聞く暇もなかった。しかし、そのわずかなやりとりは2人の心に忘れられない気持ちを植え付けた。そして、これはその後の美しいラブストーリーの始まりでもあった。
1954年5月7日の午後、決定的な勝利の旗がドーカット地下指令室の屋根の上にはためいた。こうして、「56日間昼夜山を掘り、地下で眠り続けた」戦いが終わり、ディエンビエンフーの歴史的勝利を果たした。
戦いの後、ランさんは地元に帰って看護師として働いた。タインさんは引き続き部隊で他の任務を遂行し、それから救国のための抗米戦争に参加した。
タインさんは、1953年に実家を離れ、他の任務を経て何年も経ってようやく、家族に会うために地元に帰省する機会を得ることができた。そして、長い年月を経て、運命が2人を再会に導いたのだった。