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[特集]

ディエンビエンフーの戦場で恋に落ちた兵士と少女の物語

2024/05/12 10:35 JST更新

(C) tienphong
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 2024年5月7日、ディエンビエンフー戦勝記念日70周年(1954年5月7日~2024年5月7日)を迎えた。

 ディエンビエンフーの戦いは、1954年3月から5月にかけて、当時のフランス領インドシナのディエンビエンフー(西北部地方ディエンビエン省)でベトナム軍とフランス軍との間で起こった、第1次インドシナ戦争中最大の戦闘だ。この戦争が大きな転機となり、フランスはベトナム撤退を余儀なくされたのだった。

 当時、ディエンビエンフーの戦場に向かう行軍で、兵士だったブー・スアン・タインさん(男性・1930年生まれ)と、民工(肉体労働を行う人々)として参戦していたグエン・ティ・ランさん(女性・1937年生まれ)は運命的な出会いを果たした。彼らの恋は、爆弾や弾丸の中で始まり、平和が訪れて数年が経ってからようやく花開いた。

 歴史的な2024年5月のある日、タインさんとランさんは、北中部地方ゲアン省ビン市ビンタン街区にある自宅で、ディエンビエンフーでの日々を懐かしく思い出していた。

 当時、ランさんは17歳で、看護の勉強をしていたが、革命への参加を希望した。一方のタインさんは23歳で、最前線に志願した。行軍の中で2人は出会い、恋に落ち、約60年も一緒に過ごしている。

 2人は今でも、ディエンビエンフーの戦いに参加し、困難ながらも英雄的な民族の戦いに貢献できたことを誇りに思っている。

 タインさんは1953年に入隊し、第312師団に配属された。タインさんは訓練に参加しながら、医薬品や食料、弾薬を保管する倉庫の建設に携わっていた。タインさんの部隊は、青年部隊や民工から米や食料を受け取り、ディエンビエンに輸送する任務を負っていた。

 「直接戦場に赴いて戦う部隊を見て、自分たちは後方に留まり、銃を持つこともできず悲しい思いでした。でも、他にどうしようもなく、組織に割り当てられた任務に真剣に従い、取り組むしかありませんでした」とタインさんは語る。

 そんな隊員たちの心を見透かしたように部隊の指揮官は、どんな任務であっても、うまく完了すれば戦いの勝利に貢献することになるのだと彼らを励ました。それ以来、隊員たちの悲しみは和らぎ、任務に集中して昼も夜も一生懸命に働いた。

 ディエンビエンフー作戦の数か月前、タインさんの部隊が戦場に加わることになった。「私の部隊は1953年から1954年にかけての期間に参戦しました。最初は歩兵でしたが、後に砲兵となりました。戦場で、部隊はホンクム基地で敵を阻止する任務を割り当てられました。敵に見つからないように、穴を掘ったり、土や砂の層の下に紛れて隠れたりする技術を学ばなければなりませんでした」とタインさんは回想する。

 一方、体重わずか37kgで小柄だったランさんが民工団に志願したとき、多くの人が不安を感じていた。ディエンビエンに向かう途中のランさんの任務は、米を運び、道を作り、爆弾が落ちてできた穴を埋めて平らにすることだった。さらにランさんは、看護の訓練を受けた経験を買われ、道中でけが人の手当てをする任務を追加で割り当てられた。

 ある日のこと、後方で民工から米を受け取っていたタインさんは突然、同郷なまりの声を聞いた。タインさんはその人に近付いて、「ゲアン省のなまりのようですね?」と声をかけた。

 タインさんに話しかけられたランさんは、米を運びながらいたずらっぽく笑い、「ええ、そうですよ。私はゲアン省の出身です」と答えた。

 戦場での任務は差し迫ったものだったため、そのときの会話はあっという間に終わってしまい、名前や住所を聞く暇もなかった。しかし、そのわずかなやりとりは2人の心に忘れられない気持ちを植え付けた。そして、これはその後の美しいラブストーリーの始まりでもあった。

 1954年5月7日の午後、決定的な勝利の旗がドーカット地下指令室の屋根の上にはためいた。こうして、「56日間昼夜山を掘り、地下で眠り続けた」戦いが終わり、ディエンビエンフーの歴史的勝利を果たした。

 戦いの後、ランさんは地元に帰って看護師として働いた。タインさんは引き続き部隊で他の任務を遂行し、それから救国のための抗米戦争に参加した。

 タインさんは、1953年に実家を離れ、他の任務を経て何年も経ってようやく、家族に会うために地元に帰省する機会を得ることができた。そして、長い年月を経て、運命が2人を再会に導いたのだった。

 「休暇で地元に帰省したあのとき、村の井戸の前を通りかかると、水を運んでいる人たちが見えました。すると突然、見たことのある顔と姿が目に入ってきたんです。挨拶をしたら、ディエンビエンの戦場で出会った、米運びの少女だとすぐにわかりました。(同じゲアン省出身でも)家は遠いものとばかり思っていましたが、実は近かったんですね。聞いてみると、なんとご近所さんで、2人の家は畑1つを隔てただけの距離だったんです」とタインさん。

 休暇中、タインさんは何度もランさんの家をたずね、2人の間に少しずつ恋愛感情が芽生えていった。しかし、休暇が終わると、タインさんはまた部隊に戻っていった。

 離れている間、手紙も思い出の品もなかったが、それでも2人の愛は変わらなかった。それからさらに数年後、やっとタインさんの部隊の条件が整い、晴れて2人は結婚することとなった。

 「生涯、軍人としての任務で家を空けていました。彼女は1人で家庭を管理し、3人の子供たちの面倒を見てくれました。今はすっかり白髪になってしまいましたが、家の中はいつも彼女の冗談や、子供たちと孫たちの笑い声で賑やかです」とタインさん。

 ランさんは、結婚生活を長続きさせる秘訣について笑いながらこう語る。「60年も一緒にいますが、私たちは一度たりとも大声を張り上げたことはありません。だって、お互いに理解し合っているし、お互いなしでは生きていけませんから。結婚生活で最も重要なことは、理解することと譲歩することです。心からの愛は、お金で買うことはできません。2人を結び付けるのは、心と愛なんです」。

 時が経ち、今やタインさんとランさんの髪は真っ白になり、顔にはシワやシミができている。それでも、お互いを見つめるその目は、昔も今も変わることなく幸せと信頼、愛に満ち溢れている。 

[Tien Phong 06:31 07/05/2024, A]
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