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東北部地方カオバン省出身のベー・ティ・バンさん(女性・36歳)は、2012年2月に事故に遭い、片脚を失った。事故当時はまだ24歳という若さで、人生を愛し、たくさんのプランや野望を抱き、熱意に満ちていたバンさんは突然、絶望の淵に立たされた。しかし、家族の存在、そして自身のエネルギーのおかげで再起することができた。
事故から10年以上経ったが、当時を思い出すと今でも鼻の奥がツーンとするという。「私はあの日、ハノイ市ホアンキエム区の歯医者から帰宅する途中にトレーラーに轢かれ、意識を失ったんです。4日後、痛みで目が覚めた私は、右脚が切断されていることに気づきました。左脚も壊死していて、予後が良くないんだなと思いました。私はとんでもない恐怖とパニックに陥り、世界が崩壊していくように感じました」。
そのとき、バンさんの耳に「死んではいけないよ」という父親の言葉が鳴り響いた。その言葉がバンさんを動かし、心をよみがえらせ、死の扉を乗り越えさせたのだった。そして、バンさんは残された左脚で「再起」した。
24歳のころのバンさんは、他の同年代の女性たちと同じようにバイタリティとエネルギーに満ちあふれ、完璧で美しい青春を送りたいと思っていた。しかし、痛みは何の前触れもなくバンさんに襲い掛かった。
事故の後、バンさんは自分自身と向き合うことすらできないほどに落ち込んでいた。バンさんは現在のこと、未来のこと、家族のこと、両親のこと、色々なことについて思い悩み、考え、苦しんだ。
「事故後しばらくの間は、深い眠りにつくのが怖かったんです。目が覚めるたび、知らないうちに身体のどこかがなくなってしまっているんじゃないかと恐れていました。それに、自分自身のことも、完全じゃなくなった自分の身体も怖かった。そういったとき、まず考えるのは両親と家族のことでした。自分の存在が身内の負担になるんじゃないかとか、未来は真っ暗だとか、これからは生産性のあることが何もできなくなるとか、すべての夢も野望も捨てるしかないとか、色々なことを恐れていました」とバンさんは語る。
入院してから21日後、バンさんは引き続き治療を受けるため、ハノイ市に部屋を借りたいと両親に申し出た。両親は、娘が1人でハノイ市に残っても大変だろうからと反対し、一緒に田舎に帰るよう言った。それでもバンさんは断固として田舎に帰ろうとはしなかった。
「私はただ、ハノイ市に残って、誰にも負担をかけたくなかったんです。そのときの私は、自分の人生は自分のものだから、自分の人生には自分で責任を持たなければならないと思いました」とバンさんは振り返る。