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バンさんは自分に起こった出来事を受け入れ、もっと強く、エネルギッシュにならなければと毎日自分に言い聞かせ、自分自身の旅を続けた。
「まず、新しい生活に慣れることから始めました。考えるのは簡単ですが、実際にやるとなるととても大変でした。それに、周りの人たちの言うことにも疲れてしまいました。片脚を失ったのに都会に残ってどうするんだ、外に出ても大変なんだから家にいなさいだとか、私みたいな女性は不幸だ、田舎に帰るのが一番だとか…。そういう言葉を聞いてたくさん泣きましたし、消えてしまいたいとすら思いました」。
長く続いた葛藤の末、ネガティブ思考だったバンさんは、徐々に希望を取り戻していった。バンさんは、そのときに頼れるのは自分自身だけだと悟ったのだ。
「自分自身を変えるために何かしようと決めました。2本脚だったらよかったのにと心を痛めることをやめて、今のありのままに生きようと思いました。欠点を隠すのではなく、欠点を利用して人生と向き合うことにしたんです。通りに出て、木製の松葉杖をついて初めて歩いたときのことをよく覚えています。たくさんの人が私を好奇の目で見ていましたが、私はそれを受け入れて、自信を持ってしっかりと歩きました」とバンさん。
バンさんいわく、彼女の人生は、2014年に母親と一緒に屋上に上って日の出を見たときに変わり始めたという。輝く太陽の光を見て、バンさんは希望の光が差し込んできたように感じたのだ。バンさんは突然、踊り出したくなり、その光の中に浸った。
そこでバンさんは、片脚しかない状態でも、ダンスをすればバランスが保ちやすくなることに気付いた。バンさんは身体にあざができるまで、そして痛みを感じなくなるまで、床の上で立ったり歩いたり這ったりする練習をした。だんだんとあざを気にすることもやめ、自分がやりたい動きをできるかどうかにだけ集中するようになった。
ダンスはそう簡単なものではない。普通の人でも難しいのだから、片脚しかないバンさんにとってはなおさら難しい。それでも、たゆまぬ練習を経て、バンさんはステージに上がってダンスを披露し、多くの人々に感動を与えた。
そして、努力が報われた。2019年、バンさんは身体に障がいを持つ女性のミスコンテストに出場し、自身が振り付けた片脚のダンスで「ミス三日月」に輝いたのだ。おそらくこれが、バンさんの人生で事故以来2回目の転機となった。