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初夏の午前7時、ドー・ティ・トゥエンさん(女性・57歳)は手持ちの中で一番古い服を選び、ブーツを履き、分厚いグローブをはめ、布の帽子をかぶって、40年物の炉に火を入れる。
トゥエンさん一家の工房は、刃物作りの伝統工芸村として知られるハノイ市ハドン区の「ダーシー鍛冶屋村」にある。炉に火がつくと、面積20m2余りの工房全体に熱風が広がる。風量を最大にした3つの扇風機は、工房の温度を下げるのに全く役立たない。
「普通、仕事に行くときは一番きれいな服を選ぶでしょ。でも私は一番汚れている服を着るんです。冬でも夏でも長袖よ」と、トゥエンさんは手に持ったハンマーを、燃えるように真っ赤な刃金に打ちつけながら言った。
ダーシー鍛冶屋村は北部のデルタ地方で最も古く、最も有名な鍛冶屋村の1つだ。村の人によれば、鍛冶の仕事は北中部地方タインホア省出身のグエン・トゥアンとグエン・トゥアットという2人の老人によって伝授され、16世紀の終わりから17世紀の初めにかけて形成されたという。
村で生まれ育ったトゥエンさんは、刃物を作って売ることで生計を立てていた両親の手伝いで、14歳のころから工房に出入りしていた。
鍛冶の仕事の大変さを目の当たりにしてきたトゥエンさんは、高校3年生のときに学校を辞め、病院で食事の配給をしていたが、1人の友人から西北部地方ホアビン省に仕事を探しに行こうと誘われた。しかし、両親は娘が家から遠く離れることを嫌がった。
「自宅でできる仕事は最高だぞ。出稼ぎなんてする必要はないよ」と、父親は励ました。以来、若かりしトゥエンさんは、鍛冶の仕事に就き、父親に倣って刃物を作り、市場で売るようになった。
最初はハンマーが手になじまず、強く叩いていたため刃金はなかなか思い通りの形になってくれなかった。1日中ハンマーを握りしめていたため、腕が疲れ果ててご飯茶碗を持ち上げることすらできないときもあった。両方の手のひらには水ぶくれができ、眠れないほど痛んだ。